SSHと科学研究、学会発表や査読付き論文投稿について

ちょっと古い記事のようですが、id:semi_colonさんのブクマ経由で読みました。SSH(セキュア・・・ではなくてスーパーサイエンスハイスクール)がEM菌の研究をしているようだ、との批判。

科学技術立国日本の未来を蝕むEM菌 - Togetter

なんと言えばいいのか、科学の原点に戻るというなら、例えEM菌だろうとなんだろうと、計画して、実験して、自分で結論を導き出すというのはまあ悪いことではないと思うんです。EMを少しでも取り扱ったならただちにニセ科学で糾弾すべきだ、とは私は思わないのです。まあ本職の研究者は大体そう思うでしょうけど。

そのうちにはEM菌はたしかに効果があったとする実験結果がでることもあるでしょう。そりゃあそうです。高校生程度が、高校教師に指導された程度*1で、完全にコントロールされた信頼度の高い実験をできるということはないでしょう。っていうか、それを言ってしまえば本職の研究者だって学会発表とか論文投稿すりゃコントロールができてないことを批判され、やれ実験条件が安定でないだの、やれネガコンが必要だだの、言われるわけで、レベルには違いがあるけどそれは、科学とはそういうものだと思います。

しかしね、もしそれを科学の原点に戻ってやるというなら、その研究成果を学会で発表して質疑を受けたり、科学雑誌に投稿して査読を受けるまでしないと一貫しませんね。例え高校生であろうとです。そこで初めて科学の厳しさを味わうわけですから。

そこまでやらないなら「スーパーサイエンス」の看板を降ろすのがよろしい。

そういう意味では、ちょっと古い話になりますが、私の分野においては以前SSHの研究成果として日本全国耳あか遺伝子マップの作成、というのがありました。

これは素晴らしかった。

まず第一にこれは一校のSSHの成果ではなく、多数の*2SSHのコンソーシアムの成果なのです。そうです、大規模研究が普通にいくらでも行われている現在の世界の科学研究の潮流です。いろいろなラボの研究者があれやこれや文句を言いながらも一つの目標に向かって実験を積み重ねつつ、結果が揃ってきたらまたあそこはデータを出してないだのここは実験が怪しいだのあいつは偉いだの俺はそう思わないだのああだこうだ言い合っていく、研究コンソーシアムをすでに高校生の時点で結成してしまうなんてマジ素晴らしい。いい経験だ。

そして彼らは研究成果を日本人類遺伝学会で発表したんですよ。高校生が。

耳あか遺伝子に地域差 高校生が日本人類遺伝学会で発表 - All Things Must Pass

まあその場に私もいたんですけど、実のところ学会長もやたら優しくて、本音で言えば「学会発表の厳しさを味わった」的なもんではないけど、でもやったじゃん。あんまりおかしければ質問もでるさ。

そしてちゃんと論文投稿して査読を通過してるんですよ。ほら。

The Super Science High School Consortium. Japanese map of the earwax gene frequency: a nationwide collaborative study by Super Science High School Consortium. Journal of Human Genetics 2009;54:499-503.

SSHの高校生たちの名前がAppendixにズラっと*3!JHGは日本人類遺伝学会の機関誌みたいなもんでしたが最近は結構頑張っていて、Nature Publishing Groupに入ったし非欧米圏の人は結構投稿してる感じがあります。査読はもちろんちゃんとあるよ。

ほんとすごいよね、田中清先生。

http://www.jst.go.jp/pr/jst-news/2007/2007-04/page07.html

この耳あかはほんとすごかったけど、まあそこまでの成果*4ではなくても、ちゃんと最後は科学者のピアレビューシステムによる評価を受けてシメる、という科学研究の基本については意識すべきだと思います、特にEMみたいなアヤシいものを扱うなら。

厳しいようですが、こういうことがちゃんとできないような高校は、SSH指定を外すべきではと思いました。まる。

*1:我が母校も今やSSH化したみたいなんですが、どうやら外部指導委員会を設け、大学教授10人くらい連ねてるようでした。そこまですると外部チェックはかなり効くでしょう。どこでもできることではないでしょうが

*2:SSHの半数が参加したらしい

*3:JHGよ、この素晴らしい成果はフリーアクセスにすべきでないのか。少なくとも日本人の税金を使って日本の高校生が出した研究成果だ、JST/日本政府よ、日本国民に対してくらいはフリーアクセスにするための交渉をすべきでないのか。NPGはきっと理解してくれると思うんですけど

*4:まあこの成果も天才的偉業とかではありませんけど、それでも論文投稿には十分値するレベルにはなってると思います

医師の過重労働

見えない所でコソコソと。

2013-06-04

医師の労働時間の件ですけど、僕がこれまでに遭遇した「尊敬できる医師」はほぼ全てワタミ社長タイプだったというのが正直なところ・・・なかなか難しいもんです。内科ですけど。

平日に朝7時から夜11時まで働くのは彼らのデフォルトで、というか通常はそれより早くからそれより遅くまで仕事している。当然かれについた研修医はつきっきりですよ。わりと多くの時間を、患者さんと話をすることに使っていたりします。患者さんとのお話っていうのは、長く話しするも短く切り上げるも医者次第。給料変わりませんから。こういう医者は、患者さんの質問が途切れるまで、不安感がある程度でも解消されるまで、あるいは世間話であろうと、ずーっと応対します。その他の時間は処置や外来でなければ、研修医を教育したりします。他科へ依頼した患者さんがいるならその様子を見に行き、普段の担当医が同席していることを知らせ安心を与えようとします。そうしたら当然、カルテ書きやら指示出しが遅れて師長に怒られたりするけど、そういう人が身を粉にして頑張っているのを知っているからみんなまあまあ、受け入れています。そして最後に教科書を読み直したり、あるいは最新の論文を読んだりして知識の維持やアップデートに努めます。

土日は担当患者さん全てに挨拶しに来ます。その際、その日患者さんが不安定だと思ったなら、研修医とともに週末を病院で過ごします。不安に思う患者さんやご家族のために、何度も顔を出します。夜もそうです。重症になったら何日でも病院に泊まったりします。たまにくさい。しかし不安な研修医にとってこれほど心強い上司はいません。飯もおごってくれます。その時、きらめくような彼の臨床経験を教えてくれます。いや、きらめくばかりではない、身を投げたくなるほどの失敗談もありました。彼らは魂の底から臨床にぶつかっていた人たちだった。彼らはそうやって素敵な人達でしたが、怠惰な研修医に対しては容赦がありませんでした。

彼らはつまり、患者さんのためにほんとに人生をかけていて、そのため無用な研修医なんかは使い捨てられようと、それこそ過労死しようが、目の前の患者さんを救うためならどんな手段でも使いかねないようなそんな人達だったなー。その研修医が過労死しないならば、目の前の患者さんが死ぬのである、とでも言うような・・・そこに命の価値に上下はない。たしかにそうであります。ワタミっぽい。しかしワタミよりもなおのこと強固な論理を持っています、なにせそこに掛かっているのは人の命です。

交代制にすればよいではないかと言う人もいるでしょう。これに対する答えの一つは、診療の質を落とさずそんなことできるほどの医者の数はないこともありますが、もう一つ、おそらくより大きい理由は、医師の能力には明らかに差があり、こういう医者はたいてい有能なので、自分の患者さんを自分の腕で見ていたいという思いがあること。他の医者に診られて、その患者さんが命を落とすようなことが決してあってはならないと思っていること。

そして彼らは一度と言わず離婚の危機を経験しており、家族関係もそんなにはうまく行っていないように見受けた。

観測範囲せまいことは認めます。一応大学病院と有名研修病院は経験しました。


家族のことをとても大切にしていた医者も、いましたよ。夜中に患者さんが不安定であっても、娘と夕食をともにするため、当直に引き継ぎをする時間も惜しんで家に帰っちゃったり。急変した患者さんの何が何やらわからず大混乱に陥りました。まあ誕生日ですからね。土日の指示は研修医への電話連絡だけで全部済ませたりもします。それでなんとかなるものもありますが、それで無理そうであっても決して来ない・・・でもそういう医者の家庭は円満であるようでした。

私の見る限りの範囲でしかありませんが、残念ながら、全体に能力は前述の医師たちと比較してかなり低いようにお見受けしました。つまりそれにかかった患者さんたちは、前述の医師にかかった人たちより不幸であるように感じました。


私個人の観測範囲では、「本当は働きたくないのに、日本の医療制度という問題山積のシステムの中で奴隷のように働かされている」医師を見たことはありません。働きたくない人は働かない道を選んでいます。開業が大変なら、メジャー科ならフリーター医になれます。放射線科で頼まれ読影だけやってもいいでしょう。皮膚科でアンチエイジングビジネスやったっていいでしょう。私の選んだ研究留学という道も、ある意味臨床での激務から逃れた結果であることを否定はしません。医師は最低限のダメージで、その選択が可能な職業だと思います。ずるい職業です。働きたくないなら多少の給料漸減くらいは受け入れるべきですが、実際受け入れてると思います。私もね。

結局のところ身を粉にして働いていながら現状で限界ギリギリとなってついには不満爆発しちゃう人っていうのはそもそもは自分でやろうと思ってそういう働き方をしている人たちであったことは間違いないと思うのです。つまりよき医者である人、よき医者であった人たちです。しかしよき医者にも限界があります。よき医者達だけが、あまりの荷重な労働に悲鳴を上げ始めるのです。それでも彼らは働き続けます。過労死もあるでしょう。脳出血で倒れて二度と以前のような手術ができなくなった人も見たことがあります。医者であるからこそ、有能であるからこそ、そのリスクに気づいていないわけはありません。


患者さんを救いたいという思いの強い医師であればあるほど人生が不幸になる。一方、意識の低いと思われる医者であれば、別にそんなには不幸でないどころか特権もキープされ労働時間も短く給料もそれなり(場合によっては勤務医よりはるかに高額になり)、ラクラクモードの人生を送れるのが今の日本の医師という職業であるというのが私の見解です。もちろん全てがそうだとはいいませんが。マスコミにもよく出ていられるような諸先生方がどのカテゴリに属するか、それは読者諸氏のご判断に任せます。

それはとても歯がゆいことなのですがどうやって伝えればいいかわからず、冒頭のリンク先もそれに近いことを言おうとしてるように見受けるのですがブクマは批判的なものも数多かった。

働かない手段あるのだから働かなければいいじゃん、と。私もそう思いますが彼らはそうしないのです。純粋で、有能で、患者さん思いの彼らがそうしないのです。


私の提示する解決法なのですが、前述のような医師がああいう働き方をするのはもうしょうがありません。研究者としては、顕著な業績を挙げながらも5時に帰る審良静男先生を尊敬しておりますが、常人にできることではありません。研究とは違って患者さんはいつ急変するかわかりませんし。彼らには労働法なんて関係ないし、よく例にあげられる応召義務も、彼らには別に関係のないことだと思うのです。彼らは自分の意志でそれを破っているだけです。

そして私もまた、書いていて脳裏に浮かぶのです、あの素晴らしい先生たちの働きぶり。やっぱりここは日本でして、オランダではないので、科学的にこれが正しいから正しいだけではどうにもうまく動いていかない社会なのです。それが社会政策ならまだしも、医者っていうのはひとりひとりの人間と関わりあう仕事です。たとえ過剰な労働時間が判断を鈍らせるにしても、あれほど朝から晩までつきっきりで、汗を垂らしながら片時も笑顔を絶やさず命を救おうと真剣に動いてくれる医者、というのがいると、それだけで、患者さんは幸せそうだったのです。私はそう見たのです。正しい科学を端的に与えた患者さんではなく、こういう医者に支えてもらった患者さんが、たとえそれが人生の最期の時であったとしても、一番幸せそうに見えたのです。だからその働き方を否定することがどうしても出来ないのです。

ただこういうのはどうでしょうか。一年のうち十一ヶ月死ぬほど働いていいから、一ヶ月の有給のバカンス取得を義務とする。義務だ義務。プーケットでもなんでも行っちゃえ。

その一ヶ月、その医師が有能であればあるほど病院の実力は落ちることになるでしょう。

受け入れてください。人からなる社会の限界です。

研修医の時間制限は別に考えましょうってか現在も一応あるけど。

わたしは人々が、少なくとも人々に尽くした分くらいは応分に幸せになって欲しいです。これは医師に限りません。日本人は根本的に働くのが好きだと思うので、働くのが好きなりそれに合わせながら、それでも人生を楽しむ部分が生まれるような社会設計を望みたいです。

ちなみに「一ヶ月のバカンスを取る医師」のモデルはフランスです。フランスでは、「夏のバカンス期間中はパリで病気になってはいけない。医者がいないから。」という言葉があると言います(さらに「夏は病気になるならコートダジュールでなれ」みたいな言葉も見たことあるような)。これを日本国民が受け入れられるかにかかっていることになりますが、どうだろ。

今臨床やってないので好き勝手言ってますが、なかなかこれの実現は難しいでしょうから、まあ結局のところ、一部の人によき医者であることを諦めてもらって、みんなでもう少し分担して労働強度を下げていく方向が現実的だと思われます。残念ですが。

人種差別というもの

家族に言うと心配するだろうから言わないのだけど、どこにも吐き出さないのもなんかむかつくのでここに書き留めるものである。

今日、パリの街を歩いていたら、前から歩いてきたおっさんが急に肩をこっちに向けて僕の胸にドゴっとぶつかってきた。自分よりちっちゃいオッサンなので衝撃が大きくはなかったけど、多少のけぞるくらいはした。

なんじゃこりゃ、と思ったら、通りすがりながら彼は言った。

「中国人は出て行け!」


別に痛いって言うほど痛くはなかったが、心の痛みっていうのか、3時間ほど前のことなのに、ぶつかられた部分がなんかまだズキズキとする感じがする。

前にもこの日記のどこかで書いたのですが、このような人種差別的行動に出会ったのは二回目です。実力行使されたのは初めてだけど。そして、過去二回とも同じなのである。彼らは「中国人」に対する差別感情を、僕に対して向けてくるのです。

クレイジーだ、フランスではそういうことはほとんどないはずなんだけど、と同行のフランス人は言ってはくれたのだが、まああるものはあるもので、存在しないと思っていたわけではないけれど(前にもやられたし)。



地域の多数派から少数派である自分に対して差別的感情をぶつけられるというのは、心穏やかな経験ではないので、この心を落ち着かせなければいけない。

私がやるのは、まず「世界を知ることの出来ないような、経験も少なく知識もないかわいそうな人間だからこのような差別をしてしまうんだな」と思いきかせるものです。そしてこれを解消するには教育を改善すると良いだろうなどと思考は続く。

しかしここでもう一つの感情が湧き出ます。

「いや僕中国人じゃないんですけど(だからこれは不当である)」

彼はなんだかしらないが中国人に対して差別感情を抱いているらしく、私を中国人だと誤認して暴力を振るってきたわけだから、「私は中国人ではない」とは正当な弁明である。ただ、前掲の仮定によれば、彼らは知識レベルが低いために人種差別などという愚かで低レベルな思考に囚われているわけだから、そもそも「中国人」と「アジア人全体」の区別がついてない可能性も高い。だとしても、たとえそうであってもなおのこと、中国人でない者を中国人であると誤認していることについて指摘し、その不明をなじることは、傷ついてしまった自分の心を癒すには多少の効果はあるだろうと思った。

しかしまたこの感情には、「私は(差別を受けているような)中国人ではない、(差別を受けるべきではない)日本人である」という感情はないとはいえないです。あれだ、名誉白人的なあれである。

それに気づいたのは、同行する彼の奥さんが中国人だったからなのです。私は確かに、去っていく男の背中に言った、「いや僕中国人じゃないんだけど」*1

前に同様の差別を受けた時には、日本語で「いや中国人じゃね〜し!」と言いながら去っていったのだが、今回はこれを言った後ちょっと戸惑った。

それは、「中国人なら別にやってもいいんだけど」って意味になるのか?彼の奥さんがこれをやられたんだったら別によかったということかと。

それは普通に、別の差別構造を包含していますね。

と、思いました。自分は至らない人間であることを再認識させてくれた、人種差別丸出しのオッサン、ありがとうございました。精進いたします。ただあんまり葛藤に陥るのも精神衛生上よくないので、できるならまずは、フランス人のオッサンはいきなり方向転換してぶつかってくることがあるぞって警戒する方向で。

※ 重大な注意:通常フランス人が急に「ぶつかってくる」場合、人種差別なんかよりもはるかに確率が高いのは「スリ」ですのでみなさんお気をつけください。

*1:「メ、ノン!」っていう幼稚園児がよく使う話法的な感じで

前回の雑感

前回の記事ですが、何人かの方がされた冷静な指摘である、「あの件の店主の言動は確実に障がい者差別的と言えるのか?」についてはおっしゃるとおりで、確実に間違いなく差別的と言うには難しいところがあるかもしれません。この点お詫びいたします。前提条件として、「店主が差別的な感情を持っていたか」に関わらず「発言自体が差別であるかどうか」が問われる件であると思いますが、であるとしても、これが差別だと言い切るにはやや微妙な感じですかね。

私が前回挙げました(実のところ、ここだけ読んで後は帰ってもらっていい感じで書いたんですけど)

  1. 日本人は、「かくあるべし」という規範に沿おうとする。あらゆる面において。
  2. 欧州人は、「こうであってはいけない」という規範に沿おうとしているようだと私は思う。で、「こうであっていけない」以外は自由で良い、みたいな感じで。

ですが、これは当然私のオリジナルの考えであるはずもなく、「菊と刀」の欧米の「罪の文化」と日本の「恥の文化」を稚拙に書きなおしたという程度のものです。id:hisawoooさん、こんな感じでよろしいでしょうか?(短すぎ?)フランスにこれが当てはまるかと問われると、私は当てはまるなと思っていますが、「当てはまるな〜」という感想の域を出るものではありません。

ところで前回記事でわりと多くの方が論点のずれた非難をされており(冒頭の件はずれてませんよ)、自分の日本語力の至らなさに申し訳ない思いを抱いているところです。前回の記事の構成というのは、

まためいろまさん他海外在住者が変なこと言ってる、議論がかみあってない感がある

もしかすると欧米と日本の規範意識の違いがこのズレをもたらしているのでは?

その規範意識の違いを元にして、例の件の受け取り方の違いを説明できるように見えた

私は個人的には欧米の規範意識のあり方って結構好きですが、日本にそのまんま持ち込んでいいかどうかはわかりまへん

いずれにせよめいろまさんが言ってることは変だ(でもその心情は自分としては理解しないでもない)

ところでフランスの接客サービスはウンコである

って感じなんですけど、どこに激しい非難を巻き起こす要素があったのかわかりませんが、まあなったものはしょうがありません。「なんでフランスなんかを見習わなきゃいけないんだよボケ!」みたいな反応しちゃった人は是非読み返してもらいたい気もしますが、そんなことする気もないと思うので特に求めません。

「フランス人はお店悪く無いって言っている!」っていうコメントあったみたいですが、私の周りのフランス人は「いや、運べば?」って感じでした。これについては前回記事の最後に「人それぞれ、分布でしょうね」って書いてありますから、フランス人のランダムサンプリング集団のデータでも持ちだされない限りは、そんな感じで私の方は構いません。私は「これは仮説である」という程度でしか語っていないのに何を無理やり読み取りたかったのでしょうか。特に意味がないコメントという感じです。

一方、id:Midas先生から、まあブコメを残すくらいには値するエントリであると判断されたことについてはとても光栄に思っております。深遠なので理解できていない部分があるかもしれません。今後とも宜しくお願い致します。

あと共感していただいたり、「まあ面白いね」というくらいのコメントを残してくださった皆様方、ありがとうございます。励みになります。Facebookだったら「いいね!」を押したいところです。

雑感(フランスから)

まためいろまさんが猛威を振るっているようだったので感想を書きたくなった。

乙武洋匡オフィシャルサイト

の件です。

障がい者差別はいかん。フランスも曲がりなりにも欧米先進国なので、障がい者差別は(少ない)だろう。でも別に日本も障がい者差別の解消自体は進んできていると思う。だが日本のほうがやや遅いだろう。しかしそれは工業化の順番にすぎないと私は思っている。

ここで私は思うのだ。日本と欧州の違いは何か。つうか、海外在住日本人の感覚のちょっとズレ加減はいったいなんなのであるか。これは感覚的なものだけど、私はこう思っているのです。

日本人は、「かくあるべし」という規範に沿おうとする。あらゆる面において。

欧州人は、「こうであってはいけない」という規範に沿おうとしているようだと私は思う。で、「こうであっていけない」以外は自由で良い、みたいな感じで。

ではないかな〜、と。

そういうわけなので、例の乙武さんと店長の場合。

日本人ならば、「乙武さんはこう振る舞うべき」「店長はこう振る舞うべき」のあいだの論争になるわけである。なっている。あれやこれや、あっちはアレが悪い、こっちはこれが悪い、の論争になる。

でも欧米からすると、どちらもどう振舞っても基本的には自由である。しかし「障がい者差別はしてはいけない」。いっぽう乙武さん側に「〜してはいけない」プロトコルに引っかかる点は特にない。障がい者は店に事前に通告したほうがよいことはよいのかもしれないが、それをしないことが決定的な瑕疵である、という法的根拠はないでしょう(当たり前か)。この際、決着をつけるにおいて、「したほうがよかっただろうな〜」という玉虫色の意見は出ない、ようだ。だって自由じゃん。つまり乙武さん側に「〜してはいけない」ことをしてしまった点は一つもない。であるので悪いのは店長だ。

そういうわけなので欧米在住者が脊髄反射的に「あれはよくない!」といきり立ってしまうのはこういう欧米型社会の振る舞いを身につけたがゆえであると私は思うのです。さらに欧米在住者が、ほんのちょっとも乙武さん側の行動への注文をつけることを許さないのも、単に思考回路の違いなんじゃないかなと思うんですよね。

ネット上では、「かくあるべし」論からの批判と「であってはいけない」論からの批判が入り乱れてわけわからんことになってるように思う。

さて、日本的考え方と欧米型考え方、どっちがいいのかということは決着ついていないと思います。私自身は欧米のように、「これはダメ、あとは自由」のほうが好きですが、また日本的考え方が特攻隊やブラック企業を産んでんできただろうと思いますが、しかしそれはまた工業化や高度経済成長を成し遂げた理由でもあろうし、日本は絶対それをやめるべき、とまでは確信できない。そうなったほうが日本人全体が幸福になるという確信はないです。

でも検討する価値はあると思う。

めいろまさんもウンコみたいなことばっかり言ってるけど、あれはあれで真剣にいろいろ心を痛めて考えてるんじゃないかな、うん、きっとそうです。


ところで「店主の対応、態度」を問題とした意見がいくつかありましたが、うーん、それって、そういう人達はフランスでの食事はできないだろうなって思う。一本1万円以上のワインを頼むような店にいくつもりなら別だけど。フランス人は、スーパーの店員だろうとレストランのギャルソンだろうと地下鉄の駅員だろうと、誰でもが気に入らないなら客にキレて罵倒するくらい朝飯前である。

すなわち、いくら横柄で不遜で見下すような態度をとったとしても、それは欧米標準としてありえないこと、ということはない(多分めいろまさん、カリフォルニアさんあたりもこの点は問題としていないはず)。

で、あるが、障がい者差別的なことだけは(多分)言わない。人種差別的なことも。ただし、家族連れを追い返すくらいはするかもしれん。

それがなぜであるかの理由はすでに説明した次第。

まああんまり集団まるごとラベリングするのは知的でない行為だし、人それぞれ、っていうところも多いですが、でもやはり集団として分布としての違いが観察されるだろうと私は思っています。

橋下発言のやつ

フランスの報道。フランス語聞き取れないのでネットから。なんでかっていうと海外報道を紹介した

橋下大阪市長の「慰安婦は必要だった」発言に関する海外報道まとめ - Togetter

において「リンク先の記事を読む限り批判されていません。」っていうヘンなコメントが有ったから。いやー明らかに批判的論調だったぞ、少なくともフランスのは。

リベラシオン読みます。左派新聞だけど、これはAFP配信記事のようなので、右派フィガロも同じ記事載せてる。従軍慰安婦問題みたいに欧州でもともと関心の薄い件に関しては、「どこが何を報じたか」とか小難しい問題じゃなくって、通信社が何書いたかで決まりそうな印象を受けました。だって、どこも独自記事書いてなくって配信記事垂れ流しなんだもの。

そもそも欧州世論がこれで変化するかとかそれが日本の国益に影響するかとかまで疑問になるほどの関心の薄さではありますが・・・

フランス語学力に自信は全然ないので不信に思った人は原文にあたってください、誤訳の指摘は歓迎です。

http://www.liberation.fr/monde/2013/05/14/japon-les-femmes-de-reconfort-etaient-une-necessite-selon-le-maire-d-osaka_902722

タイトルは「日本:大阪市長によると、『慰安婦(femmes de réconfort)』は『必要』だった」。で、まず事実認識が、

La plupart des historiens estiment à environ 200.000 le nombre de femmes asiatiques réduites en esclavage sexuel par le Japon. Ces Coréennes, Chinoises et Philippines notamment étaient obligées de travailler dans des bordels militaires de campagne japonais.

大多数の歴史家は、約20万人のアジア人女性が日本によって性奴隷(esclavage sexuel)とされたと推定している。特に韓国人、中国人、フィリピン人が日本の戦地(? campagne japonais)の軍の売春宿(bordel)で働かされた。

BBCとかもそうでしたがこのへんは既定事実ってことみたいですね。

Comme l’an dernier lorsque le maire de Nagoya (centre du Japon) avait mis en doute le massacre perpétré en 1937 à Nankin (est de la Chine) par les troupes japonaises (près de 300.000 personnes selon les chiffres officiels chinois), les déclarations de M. Hashimoto ont été immédiatement condamnées à Séoul et Pékin.

昨年、名古屋(日本の真ん中)市長が1937年の南京(中国の東)での日本軍による虐殺(中国の公式な数字によると約30万人)について疑問を述べた時と同じように、橋下氏の声明はすぐにソウルと北京から断罪された。

ほう・・・なんとなくニュアンス的には、慰安婦数については確定、南京大虐殺の犠牲者数については保留(もし間違っていても大丈夫なように保険をかけた書き方?)と捉えてるんですかね。

Codirigeant du Parti de la Restauration du Japon avec l’ancien gouverneur de Tokyo Shintaro Ishihara, lui aussi connu pour ses déclarations choc notamment anti-chinoises, M. Hashimoto a certes concédé que des femmes avaient été enrôlées de force dans ces bordels militaires mais, a-t-il ajouté, c’est imputable «à la tragédie de la guerre».

日本維新の会の共同代表であり東京の前の知事である石原慎太郎によると(同様に特に反中国的な(anti-chinoises)衝撃的な声明で知られているが)、橋下氏は女性が強制的に軍の売春宿で働かされたことについては確かに認めている、とした上で付け加えて、それは『戦争の悲劇』とすべきものだ、とした。

なんかちょっと日本からの石原発言の報道と違う気がするが、翻訳間違ってるかなあ?

あとはダラダラと。

Il demeure que les relations du Japon avec la Chine et la Corée du Sud restent indéniablement marquées au fer rouge de la guerre, notamment depuis le retour aux affaires en décembre dernier du «faucon» Shinzo Abe qui souffle alternativement le chaud et le froid.

日本と中国・韓国との関係には明らかに戦争の赤い鉄(le fer rouge de la guerre)が刻印されたままである、特に先の12月に『タカ派』の安倍晋三が権力の座に返り咲き、熱狂と冷静さを交互に示してからは。(ごめんなさーい、能力不足であんまうまく翻訳できない!「赤い鉄の刻印」とは、ローマ時代に熱い鉄を押し付けることが刑罰としてなされたことに由来するようで、「戦争の記憶が国家間の関係に強く影響している」とでもいうような意味か?)

D’un côté, il affiche sa volonté de réformer la constitution pacifiste du Japon qui lui interdit le recours à la guerre, et aussi de revoir la déclaration officielle de 1995 sur les «remords» du Japon.

一方で彼は戦争を行うことを禁じた日本の平和主義憲法の改正と、1995年の日本の公式な『後悔』の声明の再検討をする意思を表明している。

De l’autre il répète que son gouvernement n’entend pas pour autant revenir sur la reconnaissance par le Japon des souffrances infligées aux peuples d’Asie pendant la Deuxième Guerre mondiale.

また一方で彼は、日本政府が、日本が第二次世界大戦においてアジアの人々に与えた苦痛を思い起こさせようとするつもりはないとも繰り返している。

Mais parallèlement, près de 170 parlementaires japonais se sont rendus fin avril au très controversé sanctuaire de Yasukuni à Tokyo, qui honore les soldats tombés au champ d’honneur mais aussi 14 criminels de guerre condamnés par les Alliés après 1945.

しかしそれと並行して、約170人の日本の国会議員が4月の終わりに極めて論争のある東京の靖国神社を参拝している。そこは亡くなった兵士の名誉を祀るところであるが、同時に1945年以降連合国に非難されている14人の戦争犯罪者も祀られている。

Suite à cette visite, la plus importante de parlementaires nippons depuis 23 ans dans ce lieu symbole par excellence pour les voisins asiatiques du passé impérialiste nippon, Séoul avait annulé un voyage au Japon du chef de sa diplomatie.

特にアジアの隣人にとって過去の日本帝国の象徴である場所に、23年来最大の人数の国会議員が訪問したことを受けて、ソウルは外交首脳による日本訪問をキャンセルした。

D’autres initiatives du conservateur Abe ont été tout aussi mal perçues par les pays voisins: fin janvier, son gouvernement a approuvé un budget militaire en hausse, une première depuis onze ans, à 52 milliards de dollars pour 2013-2014 (38,7 milliards d’euros).

保守派の安倍によるその他の行動もまた、近傍の国家から悪く思われている:1月末、日本政府はこの11年間ではじめて軍事予算を増やし、2013-2014の期間に520億ドルにした。

Et pour la première fois, le Japon a célébré fin avril devant l’empereur l’anniversaire de la souveraineté recouvrée du pays en 1952 après sept ans d’occupation américaine.

さらに初めて日本は4月末に、1952年に7年間のアメリカによる占領の後主権を回復したことを祝う式典を天皇の御前で祝った。

いつの間にか後半では橋下の件はすっ飛んでいて、日本政府の認識の話にすりかわってるのが恐し。

ただ、記事中ならびに橋下氏弁解後の記事では、この発言に対する怒りは韓国、中国だけでなく日本でも沸き起こったこと、韓国・中国政府の反発が起こっただけでなく日本政府も発言を否定したことを書いており、現在の状況については中立的な記事だと思いましたよ。

フィガロの記事は全く同じ内容でタイトルだけ違うだけで、ほかル・ポワン、あと地下鉄で無料で配ってるヴァンミニュットとかメトロとかも内容同じでした。独自記事はなさそうかなと思います。フィガロは右派の新聞ですね。

ちなみにこの記事はAFPBBには載ってないみたいなんですけどー。