人種差別というもの

家族に言うと心配するだろうから言わないのだけど、どこにも吐き出さないのもなんかむかつくのでここに書き留めるものである。

今日、パリの街を歩いていたら、前から歩いてきたおっさんが急に肩をこっちに向けて僕の胸にドゴっとぶつかってきた。自分よりちっちゃいオッサンなので衝撃が大きくはなかったけど、多少のけぞるくらいはした。

なんじゃこりゃ、と思ったら、通りすがりながら彼は言った。

「中国人は出て行け!」


別に痛いって言うほど痛くはなかったが、心の痛みっていうのか、3時間ほど前のことなのに、ぶつかられた部分がなんかまだズキズキとする感じがする。

前にもこの日記のどこかで書いたのですが、このような人種差別的行動に出会ったのは二回目です。実力行使されたのは初めてだけど。そして、過去二回とも同じなのである。彼らは「中国人」に対する差別感情を、僕に対して向けてくるのです。

クレイジーだ、フランスではそういうことはほとんどないはずなんだけど、と同行のフランス人は言ってはくれたのだが、まああるものはあるもので、存在しないと思っていたわけではないけれど(前にもやられたし)。



地域の多数派から少数派である自分に対して差別的感情をぶつけられるというのは、心穏やかな経験ではないので、この心を落ち着かせなければいけない。

私がやるのは、まず「世界を知ることの出来ないような、経験も少なく知識もないかわいそうな人間だからこのような差別をしてしまうんだな」と思いきかせるものです。そしてこれを解消するには教育を改善すると良いだろうなどと思考は続く。

しかしここでもう一つの感情が湧き出ます。

「いや僕中国人じゃないんですけど(だからこれは不当である)」

彼はなんだかしらないが中国人に対して差別感情を抱いているらしく、私を中国人だと誤認して暴力を振るってきたわけだから、「私は中国人ではない」とは正当な弁明である。ただ、前掲の仮定によれば、彼らは知識レベルが低いために人種差別などという愚かで低レベルな思考に囚われているわけだから、そもそも「中国人」と「アジア人全体」の区別がついてない可能性も高い。だとしても、たとえそうであってもなおのこと、中国人でない者を中国人であると誤認していることについて指摘し、その不明をなじることは、傷ついてしまった自分の心を癒すには多少の効果はあるだろうと思った。

しかしまたこの感情には、「私は(差別を受けているような)中国人ではない、(差別を受けるべきではない)日本人である」という感情はないとはいえないです。あれだ、名誉白人的なあれである。

それに気づいたのは、同行する彼の奥さんが中国人だったからなのです。私は確かに、去っていく男の背中に言った、「いや僕中国人じゃないんだけど」*1

前に同様の差別を受けた時には、日本語で「いや中国人じゃね〜し!」と言いながら去っていったのだが、今回はこれを言った後ちょっと戸惑った。

それは、「中国人なら別にやってもいいんだけど」って意味になるのか?彼の奥さんがこれをやられたんだったら別によかったということかと。

それは普通に、別の差別構造を包含していますね。

と、思いました。自分は至らない人間であることを再認識させてくれた、人種差別丸出しのオッサン、ありがとうございました。精進いたします。ただあんまり葛藤に陥るのも精神衛生上よくないので、できるならまずは、フランス人のオッサンはいきなり方向転換してぶつかってくることがあるぞって警戒する方向で。

※ 重大な注意:通常フランス人が急に「ぶつかってくる」場合、人種差別なんかよりもはるかに確率が高いのは「スリ」ですのでみなさんお気をつけください。

*1:「メ、ノン!」っていう幼稚園児がよく使う話法的な感じで