医師の過重労働

見えない所でコソコソと。

2013-06-04

医師の労働時間の件ですけど、僕がこれまでに遭遇した「尊敬できる医師」はほぼ全てワタミ社長タイプだったというのが正直なところ・・・なかなか難しいもんです。内科ですけど。

平日に朝7時から夜11時まで働くのは彼らのデフォルトで、というか通常はそれより早くからそれより遅くまで仕事している。当然かれについた研修医はつきっきりですよ。わりと多くの時間を、患者さんと話をすることに使っていたりします。患者さんとのお話っていうのは、長く話しするも短く切り上げるも医者次第。給料変わりませんから。こういう医者は、患者さんの質問が途切れるまで、不安感がある程度でも解消されるまで、あるいは世間話であろうと、ずーっと応対します。その他の時間は処置や外来でなければ、研修医を教育したりします。他科へ依頼した患者さんがいるならその様子を見に行き、普段の担当医が同席していることを知らせ安心を与えようとします。そうしたら当然、カルテ書きやら指示出しが遅れて師長に怒られたりするけど、そういう人が身を粉にして頑張っているのを知っているからみんなまあまあ、受け入れています。そして最後に教科書を読み直したり、あるいは最新の論文を読んだりして知識の維持やアップデートに努めます。

土日は担当患者さん全てに挨拶しに来ます。その際、その日患者さんが不安定だと思ったなら、研修医とともに週末を病院で過ごします。不安に思う患者さんやご家族のために、何度も顔を出します。夜もそうです。重症になったら何日でも病院に泊まったりします。たまにくさい。しかし不安な研修医にとってこれほど心強い上司はいません。飯もおごってくれます。その時、きらめくような彼の臨床経験を教えてくれます。いや、きらめくばかりではない、身を投げたくなるほどの失敗談もありました。彼らは魂の底から臨床にぶつかっていた人たちだった。彼らはそうやって素敵な人達でしたが、怠惰な研修医に対しては容赦がありませんでした。

彼らはつまり、患者さんのためにほんとに人生をかけていて、そのため無用な研修医なんかは使い捨てられようと、それこそ過労死しようが、目の前の患者さんを救うためならどんな手段でも使いかねないようなそんな人達だったなー。その研修医が過労死しないならば、目の前の患者さんが死ぬのである、とでも言うような・・・そこに命の価値に上下はない。たしかにそうであります。ワタミっぽい。しかしワタミよりもなおのこと強固な論理を持っています、なにせそこに掛かっているのは人の命です。

交代制にすればよいではないかと言う人もいるでしょう。これに対する答えの一つは、診療の質を落とさずそんなことできるほどの医者の数はないこともありますが、もう一つ、おそらくより大きい理由は、医師の能力には明らかに差があり、こういう医者はたいてい有能なので、自分の患者さんを自分の腕で見ていたいという思いがあること。他の医者に診られて、その患者さんが命を落とすようなことが決してあってはならないと思っていること。

そして彼らは一度と言わず離婚の危機を経験しており、家族関係もそんなにはうまく行っていないように見受けた。

観測範囲せまいことは認めます。一応大学病院と有名研修病院は経験しました。


家族のことをとても大切にしていた医者も、いましたよ。夜中に患者さんが不安定であっても、娘と夕食をともにするため、当直に引き継ぎをする時間も惜しんで家に帰っちゃったり。急変した患者さんの何が何やらわからず大混乱に陥りました。まあ誕生日ですからね。土日の指示は研修医への電話連絡だけで全部済ませたりもします。それでなんとかなるものもありますが、それで無理そうであっても決して来ない・・・でもそういう医者の家庭は円満であるようでした。

私の見る限りの範囲でしかありませんが、残念ながら、全体に能力は前述の医師たちと比較してかなり低いようにお見受けしました。つまりそれにかかった患者さんたちは、前述の医師にかかった人たちより不幸であるように感じました。


私個人の観測範囲では、「本当は働きたくないのに、日本の医療制度という問題山積のシステムの中で奴隷のように働かされている」医師を見たことはありません。働きたくない人は働かない道を選んでいます。開業が大変なら、メジャー科ならフリーター医になれます。放射線科で頼まれ読影だけやってもいいでしょう。皮膚科でアンチエイジングビジネスやったっていいでしょう。私の選んだ研究留学という道も、ある意味臨床での激務から逃れた結果であることを否定はしません。医師は最低限のダメージで、その選択が可能な職業だと思います。ずるい職業です。働きたくないなら多少の給料漸減くらいは受け入れるべきですが、実際受け入れてると思います。私もね。

結局のところ身を粉にして働いていながら現状で限界ギリギリとなってついには不満爆発しちゃう人っていうのはそもそもは自分でやろうと思ってそういう働き方をしている人たちであったことは間違いないと思うのです。つまりよき医者である人、よき医者であった人たちです。しかしよき医者にも限界があります。よき医者達だけが、あまりの荷重な労働に悲鳴を上げ始めるのです。それでも彼らは働き続けます。過労死もあるでしょう。脳出血で倒れて二度と以前のような手術ができなくなった人も見たことがあります。医者であるからこそ、有能であるからこそ、そのリスクに気づいていないわけはありません。


患者さんを救いたいという思いの強い医師であればあるほど人生が不幸になる。一方、意識の低いと思われる医者であれば、別にそんなには不幸でないどころか特権もキープされ労働時間も短く給料もそれなり(場合によっては勤務医よりはるかに高額になり)、ラクラクモードの人生を送れるのが今の日本の医師という職業であるというのが私の見解です。もちろん全てがそうだとはいいませんが。マスコミにもよく出ていられるような諸先生方がどのカテゴリに属するか、それは読者諸氏のご判断に任せます。

それはとても歯がゆいことなのですがどうやって伝えればいいかわからず、冒頭のリンク先もそれに近いことを言おうとしてるように見受けるのですがブクマは批判的なものも数多かった。

働かない手段あるのだから働かなければいいじゃん、と。私もそう思いますが彼らはそうしないのです。純粋で、有能で、患者さん思いの彼らがそうしないのです。


私の提示する解決法なのですが、前述のような医師がああいう働き方をするのはもうしょうがありません。研究者としては、顕著な業績を挙げながらも5時に帰る審良静男先生を尊敬しておりますが、常人にできることではありません。研究とは違って患者さんはいつ急変するかわかりませんし。彼らには労働法なんて関係ないし、よく例にあげられる応召義務も、彼らには別に関係のないことだと思うのです。彼らは自分の意志でそれを破っているだけです。

そして私もまた、書いていて脳裏に浮かぶのです、あの素晴らしい先生たちの働きぶり。やっぱりここは日本でして、オランダではないので、科学的にこれが正しいから正しいだけではどうにもうまく動いていかない社会なのです。それが社会政策ならまだしも、医者っていうのはひとりひとりの人間と関わりあう仕事です。たとえ過剰な労働時間が判断を鈍らせるにしても、あれほど朝から晩までつきっきりで、汗を垂らしながら片時も笑顔を絶やさず命を救おうと真剣に動いてくれる医者、というのがいると、それだけで、患者さんは幸せそうだったのです。私はそう見たのです。正しい科学を端的に与えた患者さんではなく、こういう医者に支えてもらった患者さんが、たとえそれが人生の最期の時であったとしても、一番幸せそうに見えたのです。だからその働き方を否定することがどうしても出来ないのです。

ただこういうのはどうでしょうか。一年のうち十一ヶ月死ぬほど働いていいから、一ヶ月の有給のバカンス取得を義務とする。義務だ義務。プーケットでもなんでも行っちゃえ。

その一ヶ月、その医師が有能であればあるほど病院の実力は落ちることになるでしょう。

受け入れてください。人からなる社会の限界です。

研修医の時間制限は別に考えましょうってか現在も一応あるけど。

わたしは人々が、少なくとも人々に尽くした分くらいは応分に幸せになって欲しいです。これは医師に限りません。日本人は根本的に働くのが好きだと思うので、働くのが好きなりそれに合わせながら、それでも人生を楽しむ部分が生まれるような社会設計を望みたいです。

ちなみに「一ヶ月のバカンスを取る医師」のモデルはフランスです。フランスでは、「夏のバカンス期間中はパリで病気になってはいけない。医者がいないから。」という言葉があると言います(さらに「夏は病気になるならコートダジュールでなれ」みたいな言葉も見たことあるような)。これを日本国民が受け入れられるかにかかっていることになりますが、どうだろ。

今臨床やってないので好き勝手言ってますが、なかなかこれの実現は難しいでしょうから、まあ結局のところ、一部の人によき医者であることを諦めてもらって、みんなでもう少し分担して労働強度を下げていく方向が現実的だと思われます。残念ですが。