育ちより氏の社会になっていく

回り回って(自分だけか)ポリジェニックモデルでもういいだろうとなっている昨今です。昔恥ずかしいこと書いた。消したい。

急に何を書くかというと、以下のニュース記事「ニューヨーク州 公立大学無償化を発表 全米で初」について

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20170104/k10010828391000.html

今の時点ではスターが付いていないブコメ「(とても良いと思うし)腐す訳では無いが、結局遺伝的に高知脳な人材に手厚い補助が入る状態であり、再配分とセットでないと格差拡大政策に成る。」というのがあるが、まったくその通りだ。

ポリジェニックモデルが正しく、知性や運動、芸術、コミュニケーションスキルなどの才能もそれに従うとするならば(多分従うと思われる)、万人に平等に環境と機会を与えれば与えるほど、環境要因によるばらつきが小さくなり、遺伝要因によるばらつきが大きくなる、つまり育ちより氏で決まるようになる。今よりも遺伝率がどんどん大きくなっていく。

しかも加法的効果だけでいいっぽいので、父親と母親の優秀さが足し算的に加算される。ほんとかいな。いやそうなるっぽし。いまのところ数10万人規模のゲノム研究からはそういうことらしいとしかいいようがない(ま、100年前からわかっていたことだとフィッシャーさんは言うかもしれん)。学業達成度にわずかなドミナンス効果を認めた論文もあるので絶対ではないが(これはこれでセンシティブ・・・)。しかしあれも強い効果ではなかった。

ま、とはいえ、環境の影響はずっと大きいです。しかし教育機会均等がどんどん進めば、その環境の影響が小さくなるというのがここで言いたいことなわけです。ほんとにそんなに環境の影響が小さくなることがあるのだろうかとは思うが、しかし500年前と比べれば今の人々の平等さは考えられないほどだろう、そして500年後にも平等さはさらに進展しそうな気しかしない。

今後はこうやって、長い時間をかけてではあるが、ますます、生まれが良ければそのまま能力を発揮するような社会に今後なっていくことは避けられないと私は思う。それを避ける手段は撹乱因子をいれることで、つまり人々にアンフェアな環境を与えることに他ならない。そのようなことは現代の倫理的規範から考えて受け入れられないことだろう。

逆に遺伝因子側を操作できないだろうか?遺伝子編集によってデザイナーベビーを作る・・・などということになることは、今のところはちょっと考えにくいと私は思う。センシティブなのであまり立ち入りたくはないものの、重篤な難病などではない一般的なヒトの特徴は、ほぼ非常に多数の遺伝因子によって決まるだろうとわかってきており、そして新しくわかってきたこととしては、「もしかすると地球上のすべてのヒトサンプルを集めて調べても、ポリジェニック効果の全貌は明らかにならないかもしれない」くらいに弱くて沢山あって、まさしくinfinitesimal modelと名付けて正しいような状況であるということがある。さらに各遺伝因子は多面的効果pleiotropyを持つことが知られているので、ある変異を入れることが別のことに良くないかもしれない。例えばがんになりにくい変異は心筋梗塞になりやすくさせる一般的傾向が知られている。まあ、結論が出てしまえば当然というかそんなものだ。あちらをたてればこちらがたたず。デザインベビーなどありそうもない。

2017年現在までの知見を総動員しても、ゲノムを編集して「理想人」をつくるなんていうのは、絵空事ってことじゃなくて、不可能であろうとわかってきている感じかと思う。まあ理想人ってなんじゃいな、そもそも定義がないな。

とすると、元の論に戻って、育ちより氏で決まる社会に今後どんどんなっていくわけだから、そのような中でできるだけ万人が幸せに生きていくような社会を作っていくという長期的ビジョンが必要だと思う。アメリカみたいにマジ育ちが良くて能力が高いヒトにそのまんま幸せを与える(?)社会、批判はあっても、ヒトという生物の基本に立ち戻って、どのような社会がワークするかを考えた結果ではあるだろう。日本は考えてない。「頑張ればなんとかなる」という神話にいまだにこだわっている。ま、しばらくはその神話も生き続けるのだろう、100年規模の話ではあるでしょうが、その先を考えない社会はゆっくりと衰退していきそうだ。

なんか成果とか業績とかでなく、みんな好きなことやればいいんじゃないかなぁ。ベーシックインカムとかいいんじゃないの(経済素人なので聞き流してください)