肺癌と喫煙と遺伝因子

http://togetter.com/li/269595

ほうほう。とても珍しいことに、NATROMさんより相手方のほうが少し分がある感じです。まあでもどちらも大きく間違ってはいないような*1

この議論参加者双方がわかっていてやっている可能性もありますが、喫煙関連の肺癌についてはすでに15番染色体上にあるニコチン性アセチルコリン受容体をコードする遺伝子(CHRNA5-CHRNA3-CHRNB4領域)の多型との関連が報告されています。

http://www.nature.com/nature/journal/v452/n7187/full/nature06885.html
http://www.nature.com/nature/journal/v452/n7187/full/nature06846.html
http://www.nature.com/ng/journal/v40/n5/abs/ng.109.html

この関連は、ここに挙げた3つのみならず、独立したサンプルで、アジア人も含めなんども再現されているので、頑健性の強い関連だと言えます。特にアジア人で再現されてるのは頑健性という意味でデカイ。

「ニコチン」性アセチルコリン受容体なわけで、当然、すでに知られていたタバコと肺癌との関係に結びつけるのは当たり前です。それでその関連の因果関係性について推測すると、まあ現在の一般的な知識を元にすれば、右図のような関係だろうと思うわけです。うん。僕もそう思う。

ところがこれらの中で、「この遺伝子多型による肺癌リスクは、喫煙習慣と独立である」って結論を導き出した奴がいるんですよねえ。いや3つ中2つがそうなんですけど・・・

さてこの遺伝子多型自体は、喫煙習慣との関連があることもまた報告されています。最初の肺癌の研究の二番目のものがそもそも論文内で示していますし、その他に次のもの(一つ目はその追跡研究のようなもの)もあります。これまた頑健です。

http://www.nature.com/ng/journal/v42/n5/full/ng.573.html
http://www.nature.com/ng/journal/v42/n5/full/ng.572.html

ということは次のような因果関係性が導かれかねないという事態なわけです。

な〜んて言いたくなりますが、研究において示されたのは「CHRNA遺伝子における関連は喫煙とは独立である」であって*2、つまりCHRNA遺伝子によって肺癌が起こり、なおかつ喫煙によっても肺癌が起こるという推測を否定する材料はまったくないですけどね。

喫煙に寄る肺癌発症のリスクはオッズ比2.0-4.0くらいで報告されていると思いますが、CHRNA座位(15番染色体CHRNA5-CHRNA3-CHRNB4)のオッズ比は1.3程度なのでこれだけで喫煙の肺癌発症リスクを説明しきれません。喫煙習慣論文には別のCHRNA遺伝子座(8番染色体CHRNB3-CHRNA6)の喫煙習慣・肺癌双方へのリスク効果も報告されていますがそれはさらに低くてオッズ比1.09。疫学の基本として、一定のサンプルサイズについてリスク効果の強い順に検出力が高く、つまりその順番に発見されていくはずなので*3、これらよりリスク効果の強いcommonな遺伝因子が今後発見される見込みというのはあまりありません*4。この両者が独立ならば、複合オッズ比は1.3 x 1.09 = 1.42です。交互作用がもしあったとしても、これまでのゲノム研究の経験からはそこまで強力なものがあるとは思えないので*5、やはり喫煙によるオッズ比2超のリスクをすべてこれらによって説明し切るのは困難です。逆に、喫煙習慣に関係する遺伝因子を間接要因、喫煙を直接要因と考えるならこのようなオッズ比の数字は想定通り。

喫煙→肺癌発症、この因果関係性の主張を覆すのは困難でしょう。ちなみに言えば、「喫煙習慣が遺伝因子に関して交絡因子になっている」と言う以外の、喫煙の肺癌発症リスクを否定する論理については、今喫煙習慣の遺伝因子がGWASという超強力なツールによって肺癌のリスク因子として同定された時点で、ほぼ立証が不可能に近くなっただろうと思います。

実際のところ、その後の検討は、やっぱりこの「CHRNA遺伝子における関連は喫煙とは独立」はおかしいんじゃない?という研究が多いように思います。こういうのをしっかり検討するとき、GWASでよく用いられているケース・コントロール研究ではなくて、均質な集団においてデータを前向きにきちんととっているコホート研究が大事になってきます。しかしそれをもってしても、わかるのは「より厳密な関連の検討」に過ぎず、因果関係そのものを扱っているわけではないのはもちろんです。

ついでに、肺腺癌のはなし

ちなみにひとえに肺癌と言っても大きく4つの組織型があって、喫煙関連は扁平上皮癌と小細胞癌です。喫煙と関連しないがんのうち腺癌は頻度も高いのでゲノムワイドにわりと検討されていて、どうもTERT遺伝子上の変異が強力な関連を示すようです。TERT(テロメラーゼ逆転写酵素をコード)と癌の関連、というのはとても納得しやすい関連。そしてニコチン受容体は関連なし。・・・まあこれは上記どちらの仮説もサポートするのであまり意味はないか、ただゲノムワイド関連研究の妥当性の傍証にはなっているかもしれませんね。

*1:最初の一人の発言者以外。そういえば原発事故当初、「放射線によって癌が起こるというのは疫学的に言われているだけで、科学的な根拠はない」なんてとんでもないこと言ってる奴もいたな・・・この一年でそういうのは減ったかと思ったがそんなことはないみたい

*2:それ自体も怪しいと僕は思っていますが

*3:稀な突然変異ならその限りではありませんが、その場合集団への総合的な影響は結局弱いです

*4:SNP以外の多型がもしあればそれはありうるかもしれませんが。CNVについては、一般的なSNPチップを使った検討なら、最近の研究ではたいていは同時に検討済みと思います

*5:この分野の研究者としての経験上、この検討は多分しているはずで、論文上で報告していないということは面白い結果が出なかったのだろうと思います