理系と文系のはなし(つづき)

なんだか反響が大きかったようなので一応フォローの記事を書きます。ふだん気合入れて書いている自分の記事は多くてブクマ30くらいなのに、そこら辺のフランス人から聞きかじったこと書いただけで400近く行くとは・・・(泣)

ほんとに三つに分けるのがよいのかどうか

私自身は3つにわける考え方はいいなあと思っていますが大した根拠があるわけではありません。ぼくのいまの仕事は大規模データを扱う仕事なので、もっともうまい分類をするポイントを見つけるという作業に直観的に惹かれるところがあるかもです。例えて言えば理系・文系の分け方は、プリミティブな線形分離で、現代の時代という環境下でのアウトカムにフィットしていないのではないか、みたいな・・・

というわけで「そうではないのではないか」というコメントについて興味深く読ませていただきました。議論が深まるといいですね。

日本でも普通にこの分け方してるんじゃないか

日本でも大学や就職段階では普通にそのようにわかれてる、というご意見はなるほどなと思いました。記事にも書いたようにフランスでは中学校くらいからもうその先の人生が決まるようなところがあるようなので、日本とフランスとの違いは人生を決める時点の違いにすぎないという可能性がありますね。逆にアメリカなどは大学に入ってからがスタートと捉えているのかもしれず、だから高校時点までも文理を区別していないとかかもしれないですね。

bac Lについて

「フランスではbac Lの人はどうすんだ」というコメントいくつかあったと思いますがこれはもう彼らは自分自身に高いプライドを持ち人生を楽しんでいるはずですよ。常識的に考えて、フランスはブンガクやらアートやらが盛んな国ですよね。知り合いで、ソルボンヌでピカソ論を延々やらされて卒論もめちゃくちゃ厳しかったとかいう人いますが、ま、僕はよくわからない世界なのでコメントは避けますが、とにかく「自分たちは社会の下層である」というような意識ではないでしょう。

フランス人は、自分で選んだ自分の人生を楽しみ、それに誇りを持っているように感じますよ。bac Lの人が思うのは「自分は数学を選ばなかった」であって、「自分は数学ができなかった」ではない、だろうと思います。たとえばグランゼコールの人について語るとき、フランス人は崇め奉るわけでもなければ嫉妬するわけでもなく、「一生懸命働いて金を稼いだり人の上に立つ人生を選んだひとたち。がんばってねー」くらいな感じでしゃべってるように感じます。「別の人生を歩む選択をした人(もちろん能力が必要だけど)」であって、「自分たちより優れた人」と捉えてるとは到底思えません(だからこそあんなにストライキ頻繁にやるんじゃないだろうか)。

さてまとめると、バカロレアの区分は分類であって階層ではないと捉えるのが適当ではないでしょうかね。順序付き変数ではなく名義変数なのではないかな、みたいな。ただ建前と実践が複雑に絡んでる国でもありますのでね、よくわかりません。

ちなみにこれは不確かだったので書きませんでしたが、bac Lに対応したグランゼコールも確かあるようで、そこを出た人はヴェルサイユの館長になったりするって聞きました。