原発に対する諸国家の対応についての雑感

素人のテキトーな雑感です。在仏分だけ読む価値あるかも知れませんが解釈してるのはしょせん素人。

原発問題は今後どうなっていくのだろう。

世界では、ドイツとイタリアが原発を止める方向に向かい、日本もそれを追うべきだとする声がある(少なくとも新規建設は不可能そうに思う)一方、フランス、イギリス、アメリカは原発維持の方向で、中国とインドはどんどん増やしていくとのこと。まあ日本は事故の当事者国だというのを考えても、ここまできれいに先の戦争の陣営間で対応がわかれるのも面白い。ロシアとかよくわかんないけど。

フランス在住ドイツ人に、仏独でどうして原発の対応が違うのかということを何回か聞いたのだけど、迷った末の彼の回答はこんなものだった。

「フランス人は、本質的に科学の可能性と進歩を信じている。一方、ドイツ人は科学に基本的に懐疑的。それが根本的な違いだ」

みたいな感じ。意外だけどそうらしい。そこで僕は、それは面白いねー、ドイツの機械や電化製品は優秀だけど、フランスの電化製品なんて1年以内に壊れないことはないじゃんねーハハハーみたいなこと言ったら、

「まあそうなんだけど、やっぱりドイツは一度大きな失敗をしてるから・・・」

てなことを言ってた。なぜの回答もここにあるんだろう。

日本、ドイツ、イタリアの国民感情が、政府の説明によって説得しきれない範囲になる一方、英米仏において政府が原発政策を維持するといって、さほどの反対も起こらないのは、結局のところ第二次世界大戦の残香であるにすぎないのかも。人文系の知識人や俳優さんといった方たちの思想背景が、こういった歴史的事象や周りの人たちに世代を超えて伝達される感情の流れに影響されていないわけはない。特に日本語ですべてを考えるなら。

一方科学者はどうかと考えた。科学者は科学のもとに価値判断をする。科学は、戦前にはドイツの貢献が大きかったのかも知れないが、戦後にそのほとんどの発展に寄与したのは紛れも無くアメリカだ。そして科学者は英語で学び、英語で論文を書いて、アメリカの国際学会で発表する(普通にいっぱしの実力を持つなら)。現在その勢いはいや増すことすらあれ、衰えは全く感じられない。「これから世界で必要なのは中国語で、英語なんて勉強しなくていい」なんて言ってる連中は、科学に関して言うなら(これが現代の世界をつくっているものであるわけだが)完全に間違っている。中国人の科学者も技術者も優秀なのはみんな英語で論文を書いているのだ。

そうして科学者のバックボーンには科学 ~ アメリカが取り入れられ、自らが勝利者側にあったように感じ、戦争で負けたことによる政府不信ではなく、科学についての絶対的信頼のほうを得てしまうのかも知れない。彼ら(私達)は一般に、科学の名のもとに世の中の事物の価値判断をしている。そしてその「科学」はまさしく「アメリカ」に支えられており、「アメリカ」は先の戦争で圧倒的大勝利を収めた大正義そのものだ。それで日本の科学者たちは一般に、英米仏と同じ方向性の意見に親和性を感じがちなのではないか。

人文系の人や政治家にももちろん、立場が日本とは別の所に立脚しているように感じられるような人はいる、左翼に多いのはしょうがないことか。日本人のくせに日本を責め立てて満足しているような、当事者意識のない人だ。

だが科学者も同様に、世界で使われる科学の思想に染まれば染まるほど、日本人としての当事者意識を失っていっていくのかも知れない。それで多くの日本人に「なにオマエ」みたいに思われているとか。

と、いうのが私の所感です。もちろんこれは全体の分布がそうなのかなあと思っただけで、反原発の科学者ももちろん多いでしょうし、原発が必要と考える人文系知識人や作家さんもいっぱいおられるでしょう。

私自身は極力価値判断をしないように気をつけましたが、ここで述べるなら、少なくともここ数百年、アングロ・サクソンの判断が誤っていたことはあまりないかな、と感じます。

ちなみにフランス人になぜ原発を維持するのかを聞いた場合、少し歯切れ悪くなってきてはいるけど、その他フランスにおけるほとんどの社会的意見と同様に、彼らはまずこう言う。

「これは何年もずーっとみんなで議論を積み重ねてきて、この結論に至ったこと。新聞やテレビなどで政治家や学者や作家が議論して、みんな考えて、多くの人が納得して今の結論に至っている。」

どんなことでも、たとえばムスリムの女性からブルカやニカブをはぎ取るあの法律だって、彼らは、議論に議論を重ねたんだ・・・と言う。そう言われてみればランチタイムも政治論議は結構している。

よく言われるのは「ドイツ人は、交渉をしてどうしてもダメならストをする。フランス人は、まず最初にストをして自分たちの意見と存在を知らしめる」ってやつだが、とにかくフランス人はまず最初に自分の意見を言い、同じ意見の者で集まって*1、抵抗するなら最大限抵抗して、意見を戦わせた上で集約していき*2、最後に政治決着してフランス国の政策になる。とのことらしい。それはわりとみんな覚悟の上で受け入れる政策になるようで。

「でもフランス人は納得してていいかも知れないけど、それでフランスが建てた原発の近くに住んでるスイス人についてはどうなの?」

「すげー怒ってるみたい!ハハハ!」

最後にラテン気質で終わるのはお約束だ。

*1:欧州ガーには極力なりたくないが、この点については特に、日本人はここが逆、つまり人が集まってから自分の意見を言い始める・・・が実はそれは単に集団の意見の代弁に過ぎない、ことになりがちでそれはよくないとは思うかな

*2:この一番困難であろう最後のプロセスがどうなってるのか、フランス語に弱い僕にはまだ皆目わからないのだが