あらたな原発被害者?という件について考えてみる

まず第一に、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120111-00000069-mai-soci

心筋梗塞とのことだ。大病院の救急外来での勤務経験があるならわかるが、わりとありふれた病気である。僕も威勢よくCK-MB、トロップTとかオーダーしながら酸素開始して心エコーあてたものさ。これだけで、原発での作業が原因で発症して死に至った、とはちょっと考えづらい。

注意書きをしておくが、放射線被害によっておこったものである可能性を全否定するつもりはない。ただ、この事例だけからは何も言えないであろう。

何が問題なのかな、と思う。何が問題なのか、というのは、これが放射線被害によるものと言える可能性はほとんどないなということをおそらく専門外の国民の方があまり納得できないであろうという状況について。放射線によって起こされたものだと、はっきり疑う人もいるし、そんなに明らかに疑うわけではないけどなんとなくモヤモヤしている人も多いだろう。

(いまさらだけど)健康被害と統計という関係が社会的に問題となった事例を思い出した。2009年、フランスでこういうことがあった。フランスのある企業で、自殺者が急激に増えていたというのだ。

フランス、というと「おフランスかよ!」と反射的に身構える人もいるかも知れないが、ただ単に僕がいま住んでるからってだけで、僕は特に「おフランス素晴らしいザマス」的な思想は持ってないのでよろしく。

フランスでの事例

【9月19日 AFP】フランス通信最大手のフランステレコム(France Telecom)で、従業員の自殺が相次いでおり、08年2月以降の自殺者の数は23人に上っている。同社も、従業員の間に「悪の連鎖」が起きていると認めており、大きな騒動に発展している。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2643677/4623921

というもの。フランステレコムというのは日本のNTTにあたる企業。因果関係としては、フランステレコムが民営化したため経営方針が急激に変化し、労働ストレスが増加したことを苦に自殺が増えたもの、と推定されていた。ストレスと自殺の因果関係はOKだと思うので、この仮説は成立しやすい*1

わたしは残念ながらフランス語がいまだによくわかりませんので、正直当時全体像を把握していたかというとそんなことは全然ないんだけど、フランス語が分かる友人によると、この件に関する社会的騒動は、次に述べる事情により、収束した、らしい。

日本語でわかる資料は、以下のやや懐疑的なものしか見つからなかったが*2、ともかくもこれを収束させるために使われた主張はわかる。訳がこなれてない感はあるけれど、自分の方はフランス語できもしないので文句言える筋合いではない。

フランス社会統計の職業倫理委員会の委員長が真実を回復した。

20歳から60歳の10万人当たりの自殺率が年間19.6であることを知れば、「19ヶ月で24人の自殺は、年間15人ということになる。この企業には10万人近い職員がいる。結論として、フランステレコムでの自殺は、他よりもむしろ少ない」。

http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10374025542.html

「フランス社会統計の職業倫理委員会」というのは多分訳語がわからなかったのか?この統計データはフランス国立統計経済研究所(INSEE, Institut National de la Statistique et des Études Économiques)が出したもの。

フランス語でよろしければ、具体的なソースはこんな感じ。まあGoogle翻訳で英語にすれば読める(日本語翻訳はあまり使えない)。http://www.lemonde.fr/societe/article/2009/10/19/pas-de-vague-de-suicides-a-france-telecom-selon-un-statisticien_1256048_3224.html

要するに、フランステレコムという10万人の職員を有する巨大な企業で24人もの自殺者が19ヶ月というスパンで出たのでみんな驚いていて、これは年間15人の自殺者に対応する数字である。ところが、フランス国民全体の平均的な自殺数は10万人当たり19.6である。

したがって、フランステレコムの自殺率は、一般国民よりもむしろ少ないほどだ。

というもの。これでまあ収束したらしい・・・収束以前にフランステレコムの経営陣は責任を認めてしまって、CEOが退任したりもしたらしいけど。

これだけでほんとに収束しちゃっていいものかという疑問はある。仕事の業種別の自殺率とか、男性・女性比とか、あるいは経年的な自殺率の変化そのもの(2009年はリーマンショック後なので、世界的な景気冷え込みが自殺率に影響する可能性がもちろんある)も考慮する必要があろう。まあそういうことも学術的にはやられて、また新たな対策を行うのだろうけど、上記の統計が出された後、この件は一般国民の騒ぐ所ではなくなったようだ。

原発被害について、この件から学ぶべきこと

さて今回僕が言いたいのは、「統計万能論」を振りかざすことではない*3。いずれにせよこういう数字を、きちんと権威のあるところが出すべきではないかということだ。信じるも信じないもよし。それを決めるのは国民それぞれ、そしてまたマスコミはそれぞれに分析し意見を表明し、専門外の国民にわかりやすく解説していただきたい。だが、まず数字を出すべきだと思うのだ、国が。

60台男性が心筋梗塞で作業場で心肺停止となり、救急車で運ばれたが死亡が確認された。

これはどれくらいの確率で起こるものか。いま原発で作業している人数は何人で、その中から今回のような心筋梗塞死が起こる人数はどれくらいだと期待されるのか*4

権威のある所が出す必要が、ある。やっぱやろうと思えば適当な解釈もいくらでもできますもんね。統数研さんなんかどうですか?あるいはデータ渡して海外で分析してもらうってのも、今の政府・東大不信の状況からはありかもしれない。

それで、懐疑的な人も、なんだか不安な人も、まず数字を見て、それでもちろんさらに懐疑的になったっていい。不安が増すかもしれないし、不安が解消されるかもしれない。もとより放射線の影響だなんて思ってなくて、やっぱり違うよねと安心する人も、もしくはそうじゃないと思ってたが意外とあるかも?と思う人もいるかも知れない。

いずれにせよ数字を出すべきだと思うのです。

*1:放射線心筋梗塞という場合ここが厳しい。放射線白血病や癌と言うなら、ここは同様にクリアしている

*2:とはいえ妥当な懐疑。リンク先見るとわかるけど、フランスは、少なくともジャーナリズムのレベルは日本よりかなり上かなと思わせる

*3:これまでのエントリではそういうところもあったが今回特に自重

*4:いつも思うが、こういう文脈で「期待」という言葉を使うのはいやなものだ。こういうところから統計が嫌われるのかもしれん