新年を迎えるにあたって

10代の大腸癌患者さんというのがいた。

僕の担当ではなかった。むかしのことだけど。

若い人のがんの進行は速い。若ければ若いほど速いのかもしれない。もちろん担当の主治医はそれこそ頭をかきむしるくらいに苦悩していたけど、僕にとってもそれはとても言葉で言い尽くせるような経験ではなかった。こういうのを言葉に出来る人が作家になるのだろうが、僕には文才がない。

思ったよりずっと早く亡くなった。

大腸癌だからこれほどの衝撃をうけるので、白血病や骨肉腫とかならよくあることではあるかもしれない。交通事故で若くして死ぬこともよくあるだろう。それでも、ひどく不公平なものだと思った。だって大腸癌だ。

10代の1型糖尿病患者さん、20代のSLE患者さんならよく診た。いずれも一生付き合う病気だ。人生の長さが70年なら、まだそのうち1-2割しかすごしていないのに、残りすべてをこの病気とつきあって生きていかなきゃいけない。若い女の子が1型糖尿病で、体にインスリンを打つための針を刺さなければいけない絶望感なんて、学生の時は気づかなかった。腕に刺すとノースリーブ着れなくなっちゃうんだってさ。病気になって、普通の人とは違う存在になってしまったけれど、今は治療法があるので普通の人と同じように生活できるようになれる。でもその治療そのものが、普通の人と自分を違う存在にさせてしまう。そんな絶望感を感じた。友達とでかけていてインスリンを打つときは一人でトイレで打つのだそうだ。だからトイレがないところに食事の時間に行くことはないようにしているようだ。

50代の関節リウマチの患者さんにはよくいじめられた。もう病気の年数も長いから、大学の若手の医者なんて使いっ走りで看護婦以下の地位であることもよくわかっているようだ。でもよーく観察された後何人かは心をひらいてくれたりもした。リウマチの痛みは、指を万力ではさんでおもいっきりひねったときの痛み、だという話がある。それを数十年も続けている人たち。こんなふうにいじめているのは、長期間にわたって病気に耐えている辛さの裏返しではあるのだろう。まあそれはわかるけど、実際いじめられてるときの辛さからするとちょっと擁護する気にもあまりなれないが。60代以降になると、リウマチのおばさんも優しくなるような気がする。それはそれで、そうやって変化したことのわけを考えると切なくなる。諦めたんだろうね、いろいろ。

医者をしていて、人生は平等ではないことは十分わかった。いや、医者をする前からそうだとは思ってたけど、医者をしてからわかったのはそれまでに考えていたことをはるかに上回るほどの残酷なほどの不平等さだった。それで、医療の歴史をさかのぼってみれば、こうやって平等ではなかったはずの人々の人生を、可能な限り平等にしてきたものだと思った。結核を、若くしてかかる不治の病ではなくしたこととか、そういうふうに。

医療は、人間の健康に起こる問題を、なにもかも解決するためにあるのではない。というかそんなのは未来永劫無理だと思う。人間の人生に、ときに起こるあまりに不平等なことを、出来る限り減らしていって、あんまり人々の幸福度・不幸度に(健康という面から)差が出ないようにするためだけにあるんじゃないだろうか。みんなができるだけ、あまりひどい不幸を感じずに、そしてにこやかに死ねるように。まあサヨク的かって言われるとそうですねってとこだ。健康に関してだけは極端にサヨク的でもいいんじゃないかと思う。アメリカは市場主義、競争主義の世界だと言われるけど、事業などで失敗しても再挑戦できる世界でもあると聞く。健康に関して失敗したら死んでしまう。死んだら終わり、再挑戦はない。

平等か不平等か、ということを考え続けて、それが医療の現場でも用いられている疫学の考えに通じるのではないかと思った。一人の人間に起こるすべての病気をゼロにするための方法を考えるのではない。ある一群がいて、別の一群がいて、それらのあいだでの不幸な病気が起こる確率が違わないようにしたい。平等にしたい。それが僕の哲学ということになる。

この考え方には重大な穴があることは承知だ。先天性の病気の人はどうなるのか。自閉症、特に高機能型の人などは、それを「普通」とされるものにあわせていくことを本当に望んでいるのか。

そんなことはひとつの結論が簡単に見つかることはではないと思うが、基本的にはそれを本人が不幸だと思っているかという点で、とても不幸だと思うようなことからまず順番に解決していけば良いのだと思う。

そんなこんなでゲノム疫学研究をしている。ヒトにはゲノムによって生まれながらにある程度の不平等が定められている。でもそれは、今の科学力ならある程度、是正できるはずだと思ったので。あるいは薬理ゲノム研究というのがあって、薬を投与されて副作用が起きるけど、それが特定のゲノム情報をもっているとよく起きるという予測ができるものがいくつか見つかってきている。そうすると、薬を投与されたのに重大な副作用が起こって死んでしまう、なんていう不平等が少なくなるだろうと思う。

10代の大腸癌なんて二度とみたくない。癌はゲノムの病気なので、それはゲノムを用いた医療で、いまだって小さな確率を、もっともっと限りなく小さい確率にしていけるのではないかと思う。

MD研究者にも存在意義はある。そう思いたい。

なんてこんなとこに書いてどうすんだ。