才能を予測する遺伝因子について、番外編 人類遺伝学会の声明について

そういえばこのはてなダイアリーに、一般の方向けの記事を書き始めたのは、妻の友人が件の「才能予測」の中国のサービスに6万円とかいう金額を払ったと聞いて、多少僕も啓蒙とかいうもんをしなきゃならんなあと決意したところから始まった「才能を予測する遺伝因子について」という一連の、といってもまだ2編しか書いてないけど、記事からなのだった。

人類遺伝学会で動きがあるのは知っていたのですが、本日声明文として出されたようだ。口の中を綿棒でぬぐって送れば子供の性格や才能がわかる!それにもとづいて子供を教育すればオーダーメイド英才教育ができるぞ!的なサービスについての見解です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101028-00000167-yom-sci

人類遺伝学会サイトにはまだでてないけど。公式声明文をはやく読みたいものだ。

読売新聞に掲載された見解をみても、なんだかよくわからないですね。それはそうです。これは簡単な問題ではないのです。上記のyahooのページへのブクマには「ホメオパシーと似てる」という書き込みがあったが、それは違う。水が記憶しちゃうおバカさん、ホメオパシーと違って、「ゲノムを調べれば才能がわかる」というお題目は充分科学的だ。なぜならヒトではDNAを元にタンパク質がつくられていて、それが細胞を構成し、脳を構成してるのだ。神経伝達物質だってDNAを元につくられている。神や魂の存在を肯定しないのならば、また水は記憶しないと仮定するならば、DNAに書き込まれた情報の総体であるゲノムがまったく影響していないと考えるほうがおかしい。問題は、どれだけ影響してるのか、そして倫理的問題はないのか、という点なのである。砂糖玉と違って、これが科学である点を争っているわけではない点に注意したい。むしろ科学であるからこそ特に倫理的問題に慎重な姿勢が求められる。

ちなみにゲノムビジネスは、欧州で縮小傾向にあるくせに日本でカルト的な普及を企てたホメオパシーなどと違い、世界で同時に起こっているビジネスであり(そもそも問題になっているのだって中国の企業だ)、さらに言えばその中の最先端である23andMeというアメリカ企業を率いているのはGoogleセルゲイ・ブリンの奥様、Anne Wojcickiその人だ。僕らはGoogleと戦わなきゃいけないかもしれないわけだ(どうせそのうちGoogle genomesとかやるだろう)。おそろしい戦いだ。しかし彼女らはホメオパスと違って、賢くもある。正論が立て板に水になってしまう世界でもない。

具体的な問題点として私が考えるのは、以下の三つである。

(1) 現時点でビジネスを始めるレベルの知識の集積がない。実際、病気の発症に関わるゲノム上の特徴は確かに分かってきているが、才能や性格に影響するものはまだほとんどわかっていない。「確証が取れていない上に、アジア人では実はこれについてはまだ実際調べれられてなくて、白人での実験結果を元にしてアジア人を解析するわけですが、それでもよろしければ申し込んでください」とか、「公表はしてませんが中国共産党で秘密裏に証明したものです!」(ほんとにありそうだ)とか正直に言うならいいけどね。ちなみに中国共産党内の解析なるものがもしあったとして、偏りがありすぎて日本人に適用できるとは思えませんよ、念のため。

(2) ゲノムによって何がわかるかを、顧客が本当に理解していないと思われる、また企業は理解するよう助けていないと思われる。現在分かっている知識からすると、ゲノム上に刻まれた情報のほぼ全ては、どうもヒトを0か1に決定づけるものではないらしい。たとえば将来(1)の問題がクリアされ、「数学能力」に関連するあるひとつの遺伝因子が判明したとする。あなたのDNAを調べたところ、数学能力の遺伝因子は持っていないらしい。ならばあなたは文系を目指すべきか??いいえとてもそんなことはいえない。たとえばこれは、40人の学級を二つ作り、片方に数学遺伝因子あり、もう片方に数学遺伝因子なしだけの生徒を集めた場合、前者は数学100点が12人、後者は10人、・・・というくらいの差でしかないことが現時点では分かっている。つまり遺伝因子なしでも100点とっている人はいるのだ*1。もしかすると今後さらに決定的因子もわかるかもしれない。しかし今現在、上記に挙げた企業が調べている「SNP」というものでわかるのは少なくともそういうことである。逆にSNP以外に関しては(1)の状況はさらに悪くて、なにもわかっていない。国家レベルではそれでも重大な違いで、同学年200万人いるとするなら二つに分けた場合の違いは5万人にもなろう。だけど親御さんってそういうことやりたいの?ソ連東ドイツみたいに?*2

(3)最後に倫理的問題。(1)の問題が解決され、さらに(2)についても親御さんが十分理解したとしよう。そうしたら、子供の意思に関係なく親が子供のゲノム情報をすべて閲覧し、選択した教育を子供に課して良いのかという問題。数学因子を持ち、運動の才能はどうもなさそうだと判定された子どもが、だんだん大きくなって数学が嫌いになってきて、スポーツに力をいれたいと言ったとき、親は許容できるだろうか。さらに複数の子供のうち、ゲノム情報によって才能があると判定された子どもだけに、親が集中的に資源を投下するということになりはしないだろうか。これは何が正しいかという問題ではない。社会の中で話し合わなければいけない問題である。

もちろん(3)にはさらに最悪の可能性、つまり才能がほとんどないと判定された子供の親が、将来を悲観し・・・などということも考えられる。(2)をきちんと理解していればそんなことするわけがないと思うかもしれない。しかし僕は、一般国民の理系リテラシーがそれほど高いとは思っていない。そもそも政治家への説明ですら苦労するだろう。

いずれにしても、もっと話していかなければならない、僕たち研究者も、さらにマスコミも。5年前なら僕たちはもっと牧歌的に研究していられた。だが今既にGWASは信じられないほどの結果を量産し終えつつあり、今後は社会に還元しなければいけないだろう。そしてそれは実質的に社会全体にどれほどの意味をもたらすものか。現時点では・・・僕たち遺伝疫学者にとっては極めて残念なことだが、「ほとんどない」という結論が相次いでいる現状である。

遺伝傾向の強い一部のまれな病気ではなく、冠動脈疾患のような多因子で頻度の高い病気では、遺伝子変異によって病気の発症の有無を個人レベルで予測することは難しいことを示したデータ。冠動脈疾患の遺伝子変異を検出するチップを商業的に利用する動きが日本でも見られるが、まだ研究レベルに留まる実用化以前のものに過ぎない点を、今回の結果から汲み取るべきだろう。

http://blog.livedoor.jp/ytsubono/archives/51872243.html

日本人研究者が病気のリスクを上げる遺伝子変異を発見すると、個人差に基づいた「オーダーメード医療」への発展が期待されるという類のコメントと共に報道されることが多い。しかし実際には、病気のリスクの予測力や治療への反応の予測力が大きな遺伝子変異が発見されることはまれだ。

今回のように、文献報告されている101個もの遺伝子変異を網羅的に使っても、家族歴という単純な一つの情報よりも予測力が劣るというのが、心血管疾患に限らず多くの病気での現状だろう(まれな家族性疾患の遺伝子変異などは事情が異なるだろうが)。マスコミ報道の大半は日本人研究者が遺伝子変異を発見した場合に限られるが、その意義を過大評価しないような報道の仕方や読者の理解が必要だろう。

http://blog.livedoor.jp/ytsubono/archives/51773327.html

まあここまでゲノム研究をコケにされるとへこむけど、しょうがない。これが現状だ*3。私の見解としては、いつも定義やらなにやらうるさい疫学因子と違って遺伝的変異の場合は確定的な情報であり*4、それを元にした創薬や治療決定が充分行ないやすく、たとえリスク因子としての扱いでも、コホートと違って前向き介入研究ではITT解析においてより確実な影響が出ると考えている。前向き介入研究カモン!この分野は現在進行形です。

ちなみにこれだけを紹介しちゃうとほんとにゲノムって意味ねーやってみんな思っちゃうかもしれないので、ちゃんと意味がある論文も示しておく。坪野先生が紹介される範囲の分野ではないらしく、疫学批評サイトに掲載がないのが残念。

著者は、「CYP2C19*2遺伝子変異は、心筋梗塞後にクロピドグレル治療を受けている壮年期の患者における主要な予後決定因子であり、陽性例の予後は不良である」と結論

http://wellfrog3.exblog.jp/tags/クロピドグレル/

このように、CYP2C19という遺伝子に変異があることにより、クロピドグレルという薬の効果が低下し、最終的に死亡・心筋梗塞PCIカテーテル治療)*5が1.5倍ほど起きやすくなってしまうことがわかったわけです。ちなみにこの論文以外にも同様の観察は複数あり、アメリFDAなどは添付文書改訂へ至っている。さらに言えばこの遺伝疫学研究は、CYP2C19に影響されない血小板凝集抑制薬の開発というストレートな創薬研究へと向かわせるでしょう。遺伝疫学少しは意味あるじゃん!てとこで今回は。

*1:「100点」という指標をここで使ったのはわざとです。大数の学コンじゃないよ。現在のゲノム解析は、「天才的な才能」を検出するものではない。そのような頻度の低いものを対象としてないのです。まさに「100点」が表すように、特定の指標で全員一斉に能力測定した場合に、全体としてある程度のばらつきが出現するような因子について、遺伝因子によってとる点数に差があるかどうかを調べてるだけ。

*2:とうぜん才能に関してのこの国家主義的アプローチは、現在の先進国で倫理的に許されるものではない。しかし病気に関してはこのアプローチは有効のはずだと僕らは考えている。超過リスクである5万人分を減らそうとする政策をとるという方法論だ。ちなみにこの方法論がどうも肯定されづらい雰囲気になってきていることは後述。と言っても僕ら、まだ諦めてませんよ。

*3:それ言うならiPS細胞だって実際の臓器できて患者に移植できる段階に来るまでは、期待もたせる報道を一切してはいけないように思うが、っていうかもしかして言いたいのは、疫学研究以外の業績は確実な言い方で新聞報道するなってこと??

*4:例えば後者のコホート研究からは、遺伝的変異の情報など使わなくとも「家族歴」データで充分、という結論である。しかしコホート研究における「家族歴」データはほとんど完璧だが、実際診療では家族歴をまともにとる時間などあまりない。そのうえ、現場での診療における家族歴所見の多くが誤りである、という疫学的知見がある( http://bit.ly/bOI2ii とか)。一方当然だが、遺伝的変異データはコホート研究だろうと現場診療だろうと不変で一定だ。そうか、これは疫学者は遺伝的変異よりも疫学因子を有意に判定する結論を導きがちであるという新たなる疫学的バイアスの発見なのかもしれないぞ。ちょっと調子に乗りました。すいません。

*5:primary end pointです!→疫学者の方へ