才能を予測する遺伝因子について(3)

才能占い(前日の報道に関連したブクマでこの言葉を知った)の実際の効果の検証に入る前に、まずもっと科学的に確立している分野、病気の発症を予測するゲノム情報について、どういったものか、どのような影響を与えるのか解説する。

ゲノム研究が明らかにした、遺伝因子がヒトに与える影響について

ゲノムを調べたら、実際何がわかるのか。まず、加齢黄斑変性症(Age-related Macular Degeneration, AMD)というあまり馴染みのない病気を例に説明する*1。とはいっても白人では65歳以上で10%程度が罹患するほどのきわめて一般的な病気だ。加齢黄斑変性症のゲノム研究は複数あるが、ここではWei Chenらによる本年4月の論文をとりあげる*2。ちなみにサンプルは基本的に白人である。

「オッズ比」とは何か

この研究によると、最も加齢黄斑変性症のリスクと関係する1番染色体CFH遺伝子上のrs10737680と名付けられたSNP(遺伝的変異のひとつ)の効果は、オッズ比(Odds ratio, OR)3.11であるという。またもう一つ注意していただきたいのは、このオッズ比は「加算的モデルadditive model」*3により算出されたという点である。これはどういう意味だろう。

このrs10737680というSNPは、多くの人ではTGTCTC[A]GCGTATとなっているところ、その他の人ではTGTCTC[C]GCGTATとなっている、という個人間の違いである。この場合のAとCをそれぞれアレルと呼ぶ。ヒトは染色体を2本ずつ持っているので、実際には「AA」であるヒト、「AC」であるヒト、「CC」であるヒトの3パターンが存在しうることになる*4。このそれぞれのパターンのことを「遺伝子型」と呼ぶ。OR 3.1とは、これは論文によるとCCをもとにして算出されたものであるが、CCの遺伝子型を持っている人に比べて、ACだと3倍、AAだと9倍加齢黄斑変性症になりやすいということを意味する。

オッズ比だけではダメ

これだけでも驚くほど遺伝因子によってなりやすさが変わるものだと思うだろうが、注意して欲しい。これは遺伝疫学だけでなく、ふつうの臨床研究でもよくあることだが、「オッズ比(あるいは相対危険度)の罠」である可能性がある。オッズ比というのは単に比率なのである。ここで野球の例を出すことをお赦しいただきたい。たとえば中日とロッテの試合で、現時点で得点差が1点なら「まだまだ先はわからない」、得点差が5点もあれば「勝負は決まりつつある」と思うだろう。一方、現時点での得点が、「ロッテが中日の2倍です」と言われたらどうか。これが2-1なら前者の白熱した展開、10-5なら決まりつつある勝負だ。何もわからないとすら言える(ロッテが勝っているということだけはわかる)。だからオッズ比という比率だけでは、本当にどれくらい意味のある遺伝因子かはわからない。ここで、「中日が1点である」とわかっていれば、その2倍であるロッテの点数は2、「5点である」とわかっていれば、ロッテの点数は10であることがわかるだろう。つまり、どれか一つの実際の数がわかっていれば他もわかる。

病気になりやすさという文脈で言うと、野球でのスコアに当たるのは「将来病気になる確率」そのものである。「日本で将来20万人が加齢黄斑変性症になります」と言われたってあなたにとってなんの意味があるのかわからない。しかし「あなたが将来加齢黄斑変性症になる可能性は10%と見積もられます」と言えばそれは意味があるはずだ*5。そこで、先程の加齢黄斑変性症のオッズ比を実際の病気になる確率に変換してみよう。たとえばCC型のヒトが加齢黄斑変性症を発症する確率は2%であると適当に決めてみる(あとで確認します)。すると、AC型の人が発症する確率は3倍の6%、AA型の人になると18%にもなってしまう。これが実際的な意味である。AA型とCC型の違いは、オッズ比で言うと9だったが、発症の差でいうと16%である。実際、「9倍」では分かりにくかったが、たとえば母数10万人の自治体における集団を勝手に仮定すると、差が「1万6千人」である、とはっきりでてわかりやすい。これを絶対危険度といって、より正確に疫学因子の危険度を表す尺度である。

さらに話を進めよう。このそれぞれの遺伝子型の頻度は、白人ではだいたい40, 38, 22%である(日本人だとだいたい33, 53, 14%)。加齢黄斑変性症は名前通り高齢になってからかかる病気であるが、アメリカでの65歳以上人口での罹病率は10%程度とのことである。またアメリカでの65歳以上の人口は2008年ころに4000万人くらいいるのだそうだ。そうすると、単純に考えて加齢黄斑変性症は400万人くらいいると考えられる。また、rs10737680の各遺伝子型は、AA型が1600万人、AC型が1520万人、CC型が880万人くらいである。このそれぞれに先程適当に仮定した比率をあてはめてそれぞれの遺伝子型での加齢黄斑変性症の患者さんの数を推定してみると、AA型で288万人、AC型で91万人、CC型で18万人である。おっ、うまいことに合計数は実際の加齢黄斑変性症患者数とほぼ一致しており、先程の発症頻度の推定は大体あっていたようだ。

ここでアメリカの老人全員がCC型だったとしてみよう。この場合の発症率は2%なのだから、4000万人中80万人が加齢黄斑変性症を発症するだろうと推定できる。ところが実際には400万人発症した。320万人は、いつからか人類がrs10737680というSNPにAというアレルを持ったことによって生まれた加齢黄斑変性症だと捉えることもできるので、これをrs10737680 Aアレルによる集団寄与危険といい、割合に直して8%が集団寄与危険度である。見方は逆でもよい。もしかすると人類は、ある時点でrs10737680 Cアレルを獲得したのかもしれない。すると考え方は完全に逆になる。このように遺伝子多型というのは常に相対的なものだ。まあでも分かりやすいように前者を採用しよう。この320万人の加齢黄斑変性症は、rs10737680 Aアレルによってもたらされたものであり、rs10737680 Aアレルによるリスクを抑えることが出来れば、この人数の人達は加齢黄斑変性症にならなくてもすむと考えられる(上限の)人数である。

それではrs10737680 Aアレルによってもたらされた8%におよぶ加齢黄斑変性症の寄与危険度、あるいは16%にも及ぶ絶対危険度をどうやって減らせばよいのか。単純に言ってこれは遺伝子上にある遺伝子変異なのだから、それが実際どのように遺伝子産物の動きを変えて病気を発症させるかのメカニズムを解明すればよい。リスクって難しい言葉で色々言うけど、とどのつまりそういう意味だ。そうすればこのアレルによる病気発症を特異的におさえる創薬につながる。8%全部減らすとは言わないまでもある程度は減らせるだろう。これは医学からできる方策だ。

いっぽう、この加齢黄斑変性症の遺伝的リスクをあらかじめ調べておき、リスクが高い人には早期から加齢黄斑変性症の検査スクリーニングを行うという手もある。ビタミンによる予防効果が証明されているので、リスクが高い人が早期にビタミン剤を飲み始めるというのは、コストベネフィットが非常に高いであろう。とはいえ国の保険でカバーするかどうかについては疫学的検討が必要である。これらは政策的な術である。

いっぽう絶対やってはいけないのは当然、「Aアレルをもつ者を絶滅すればよい」という解決策である。こんなこと本気でやろうとした人が70年くらい前にいた上に、同時代の遺伝学者に賛同したバカが(しかも学問的にはバカではないという始末の悪さ)いたため、その後遺伝学は現在にいたってもなお「優生学」の亡霊に悩まされることになった。しかし少なくとも今回の遺伝因子について、これがもう現実的に不可能だというのは上の数字を見ればわかるはずだ。加齢黄斑変性症という眼の病気を防ぐために、アメリカ人78%を抹殺しなければいけない。・・・達成前にアメリカが滅ぶだろう。このように、優生学的な問題点は、遺伝子多型のように頻度の高い遺伝的変異を対象とする場合は少し様相が異なってくるのである。実際ありえると考えられているのは、例えば羊水検査で遺伝子検査をし、このリスクアレルがあれば中絶するとか。保険会社が、とくに車の保険などで、この遺伝因子を持つ場合保険料を上げるとか。あるいは就職における差別などである。こういったソフトだが、幅広い範囲の人間に影響を与えることを阻止しなければならず、当然そういった役割をはたすのは法律である。時代が動く前に成立させなければならない。

最後に、人種差について

前回のところでも少し述べたが、「才能占い」の多くがおそらく意図的に隠していることのひとつに、彼らが頼る研究業績のほとんどが実は白人での結果だと思われる、というのがあるだろう。いや、病気なら日本の業績もたくさんありますよ。ただ才能はあまりない。というかゼロではないか。

そこで、今回の加齢黄斑変性症、アメリカでは320万人もの超過リスクを生み出す恐怖の遺伝的変異、CFH遺伝子変異の日本人でのリスクを調べてみることによって、白人での遺伝解析結果が日本人に直接応用可能なのかどうか調べてみよう。なんと・・・日本人ではリスクだと証明されていない。

http://www.springerlink.com/content/h535n51u65v00050/
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1442-9071.2008.01791.x/full

原因についてはいろいろ考えられるがここでは立ち入らない。本当はリスクだがリスクの強さが日本人ではとても弱い、という可能性などいろいろありうる。このようなことはあり得るということは認識していただきたい。つまり白人の結果を元に加齢黄斑変性症のリスクを調べて、日本人のあなたのDNAをの解析結果として白人の数値をそのまんまあなたに返した。「あなたは将来18%もの確率で加齢黄斑変性症になる」という恐怖の解析結果が付いている!・・・しかしそんなのは全部ウソである可能性があるんです。ほんとのあなたの加齢黄斑変性症のリスクは2%なのに、完全にウソをつかれている可能性があるんです。

何も日本人の結果はかならず日本人に由来しなければならないというわけではなく、韓国や中国、東南アジアでも多分だいたい大丈夫だと思いますが(確認要)、白人とはかならずしも一致しない。これは充分認識すべきことなのです。

*1:加齢黄斑変性症はさらに萎縮型と滲出型に分けられるが今回はとりあえず全部まとめた場合の結果を提示する。この病気を取り上げるのは、これまでに調べられたcommon diseaseの中で最もリスク効果が強い遺伝因子をもつ病気のひとつだからである。

*2:Wei Chen et al. Genetic variants near TIMP3 and high-density lipoprotein–associated loci influence susceptibility to age-related macular degeneration. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2867722/?tool=pubmed

*3:ほかは優性モデル、劣性モデルなどがある

*4:塩基は4種類あるので、バリエーションがさらに増えるという可能性もなくはないし実際報告されている。しかし極めてまれ。一塩基の突然変異が起こる確率が特別起こりやすい場所があるということはあまりないと考えられていて、同一部位に二回連続で突然変異が起こる可能性は極めて低いことが理由と考えられる。

*5:それでも微妙だと考えた方は偉いですが、ここでは深追いしません