ニュートン・モートンのインタビュー
遺伝疫学という非常にニッチな分野ではきわめて有名なおじいちゃんであるニュートン・モートンのインタビューがGenetic Epidemiologyに出ていました。ネットにも公開されているようなので、かいつまんで紹介してしまいます。僕と同じようにニッチなヒトはご一読ください。翻訳下手ですいません。ニュートン・モートンは、放影研の前身原爆傷害調査委員会(ABCC)にもいたことを以前にこの日記で紹介したことがありますが、世界的にはなにより遺伝疫学の開祖の一人として知られています。
一研究者の生涯ということで。
子供時代は
- 科学への興味は、子供の時の蝶採集から。昆虫学者になろうと思っていた
学生時代は
- 学生時代に昆虫学への情熱が失せ、昆虫学においてキャリアを築きたいという思いがないことに気づき、そのことで意気消沈した
- その後生物学図書室に入り浸って本を読んでいた。そこでTheodosius Dobzhanskyの"Genetics and the Origin of Species"を読み、遺伝学こそ自分がやるべきことだとわかった
- その後ハワイ大学で、島の線虫の種分化について研究し、遺伝学への興味はどんどん広がり、ウィスコンシン大学のジェームズ・クロウのところへ勉強に行った。このころまで線虫の遺伝学を楽しくやっていた。
- クロウの勧めで、日本のABCCで1952-53年まで過ごした。このときにヒトの遺伝学に強い興味をいだいた。
- 広島からウィスコンシンに戻り多くの研究者に刺激を受けたが、この中には木村資生もいる。
- 博士論文はロッドスコアにワルドの逐次解析を適用したものだったが、これは広島でやった連鎖解析からの興味を継続させたものだ。
現在のあなたがあるのにとても影響した仕事は?
細かいので略
どのように、そしていつ、遺伝疫学に興味を持ったのか?
- ハワイで人種間交配の研究をしていた時、「伝統的な人類遺伝学は単純な遺伝継承をするまれな形質を検討するもので、一方疫学は非遺伝的なありふれた病気を対象とする。そのうちこの二つの専門性は統合されるだろう」と考え、遺伝疫学を提唱した。
あなたが遺伝疫学を始めてから、どのような変化があり、それらをどう思うか、またあなたの意見ではこれらの研究を進めていくには何が必要か
- たくさんの遺伝因子が発見されたので、今後は環境因子を検出するという古くからの能力をまた発揮するだろう
遺伝疫学の進む方向性は何か?
- さらなる遺伝因子が発見され、環境因子が見出されるまでは、遺伝疫学の影響は小さいだろう、「遺伝的か否か」だ。
- 遺伝疫学は、検出可能で患者とその親類において管理可能な医学的に重要な環境因子を今に発見するだろう。
- 出生前または幼少期に検出がなされなければいけない。
- 遺伝疫学の将来は有望だ。
あなたのどの発表やイベントが最も重要だと思うか?
略
将来何をする予定か?
- 病気があるので、遺伝学の将来の発展を目にすることはできないだろうね
遺伝学と遺伝疫学について、知っていておいて欲しい一つのことは?
- 2009年のアメリカ人類遺伝学会のシンポジウムのために用意した文章に書いてある。
「1955年当時、遺伝病の研究は家系における遺伝継承パターンの統計学的解析と、少数の血液型やタンパク質の連鎖解析にもとづいていた。ヒト集団遺伝学も同じような限られた遺伝的物質に焦点をおいていた。ニュートン・モートンは、家系の分離比分析、連鎖解析、集団遺伝学への新しいアプローチに貢献した。かれは遺伝疫学のあたらしい分野の定義において助けとなった。それから54年の間に、分子遺伝学と計算機科学の大きな進歩が、集団遺伝学と遺伝疫学の姿を変えた。ヒトゲノムのシークエンシングと数百万もの多型的変異の発見により、ヒトの進化と、疾患の遺伝的・環境的背景の理解が深まるこれまでにない機会が得られた。このシンポジウムは、これらの新しい技術が今どのようにヒトの進化と病気についての理解に影響を与えているかを、ニュートン・モートンにより最初に定義された展望から証明するものである。」
感想
この業界の将来のことを聞かれると環境因子、環境因子、と繰り返している印象です。なるほど。