放射線によるがんリスク上昇について

放射線を累積1シーベルト浴びると、がんのリスクが1.5倍になるらしい。現代に生きる日本人ならばもはや誰もが知っている(多分)。

で、これってどういう意味なんだろうか。というか、あなたにとってどういう意味がある数値なのか。あなたは多量の放射線を浴びたとする。あなたはがんになるのだろうか?1.5ってなんですか?

がんのリスクは集団という文脈において捉えられがちだ(そしてそれは、正しい)。しかし本当に知りたいのは個人のリスクだと思わないだろうか?「日本人集団のがんの発症数が1.5倍になる」かどうかなんて、どうでもいい、とまでは言わないが興味の中心ではない。本当は、あなたが、あるいはあなたの家族、恋人、友人が、がんになるかどうかを知りたいんじゃないだろうか?

ここでは、放射線による「リスク」の個人という視点からの意味について考えてみたい*1

で、あなたは将来がんになるのか?

あなたはがんになるのだろうか?はっきり答えてください!

・・・これはもう現代では、わからないとしか言いようがない。それでも、いくらかの予測はできないだろうか?

放射線でなんでがんになるのかというと、これは人間の細胞の設計図であるDNAが放射線によって傷つけられてしまい、細胞が癌化してしまう可能性が上がるからである。がん細胞は無限に増殖する性質があるので、わずかなDNA傷害で少ない数の細胞に起きただけで、がんがおこってしまう可能性が出現するのだ(逆に言えばこれが、放射線をあびたからって遺伝性疾患にならない理由。遺伝性疾患は細胞の増殖とは関係ないことがほとんどで、からだのすべての細胞がDNA傷害を同じように受けるような状況になることはない・・・もしくはそれほど強い放射線障害を受けたら、遺伝性疾患なんか起こす前に死んでしまう)。だとすると、あなたががんになるかどうかについて、手がかりとなる情報を得るには、放射線を浴びたことによって「DNAが傷つけられたかどうか」を調べればよい、とまずぴんと来るだろう。ところがこれには二つの問題点がある。

  1. 放射線が、たった一つか数個の細胞の、おそらく数カ所のがん化に関係する遺伝子を傷つけることによって、放射線によるがんは発症しうる。そこで、人体に存在するすべての細胞について、傷つけられたかどうか調べなければならない。しかし、人間に存在する約60兆もの細胞の、それぞれ30億にもおよぶヒトゲノム配列をすべて読むことは、現代の技術では不可能である。現代の科学は、血液を採取したりどこかの臓器に針を指して組織を抽出してきて、それをとかして得られたヒトゲノムDNAを数日かけて、数百万円以上かけて読めるようになったばかりなのだ。たとえば脳腫瘍が起きるかどうか、脳神経細胞からDNAをとってくる・・・なんてことすらできない。
  2. そもそも、DNAのどこが傷つけられると癌になるか、またどれだけの数の細胞が癌化に必要か、DNA傷害以外に癌化に必要なものはあるか、など様々な癌化のメカニズムについて、だいぶ理解が進んできているが完全には解明されていない。ヒトゲノムDNAのうち、役に立つ部分というのは少ないと考えられていて、ほとんどの部分は、実は傷つけられたって別になんともない部分なのだ。DNAが変異したことがわかるだけではだめなのだ。

というわけで、今の時点ではなにもわかりません。放射線を浴びて、まだがんを発症していない段階で、あなたががんを発症するかどうかについて、何も言えることはない。1シーベルト放射線を浴びた。1.5倍くらいがんになりやすくなったらしい。それが全てだ。ここから先は不可知論だ。

しかしそれでいいのだろうか?いくら言われても、「1.5倍」で、実感はわかないはずだ。あなたはわきますか?

1.5倍ってなんなんだ。ぼくやあなたの人生にどう影響を与える数字なんだ。もう少し微妙な数字も考えたい。100ミリシーベルト浴びたとしよう。1.05倍がんになりやすくなるらしい。そして、一部の学者(この分野に関する日本最高のエキスパートである広島大・長崎大の研究者を含め)は、「そういったわけなので、この量以下の放射線による健康への被害は大したことない」的なことをつい言ったりしている。それで、時には猛烈な罵詈雑言を浴びせられたりしていることもある。あるいは他の学者(疫学を専門としない人が多いけど・・・)は、それも十分重大で意味の有ることだと言ったりする。

1.05倍というのは、本当にたいしたことないんだろうか?それともたとえ少なくともリスクが増えるならすべて重大なことなんだろうか?なにかこれについて、考えるすべはないだろうか?

がんになった時点で、事後的に考える

放射線を浴びた、今の時点で、あなたに起こることについてわかることはなにもない。「1.5倍」という、よくわからない数値を得るだけだ。では、将来の時点では、あなたにはなにか確定的なことがわかっているのだろうか?

今から20年後のことを考えてみよう。あなたはがんになっていなかった。・・・ならばラッキーだ。放射線によってリスクが上がったにもかかわらず、あなたはがんにならなかった。

もうひとつの可能性を、もちろん考えなければいけない。あなたはがんになった。しかも膀胱がんだとしよう。膀胱がんといえば、白血病以外では放射線によって最もリスクが高まるがんである(http://www.rerf.or.jp/radefx/late/site.html)。がんになったあなたは悲壮にくれる。あのとき放射線を浴びたからがんになってしまったのではないだろうか、と・・・

それでは、あなたは放射線によってがんになったんだろうか?がんになったあなたはこれについてわかっているのだろうか?

このエントリを読もうとするあなたは、あなたが膀胱がんだからといってそれが100%放射線によって起きたと言い切ることはできないことがわかっているだろう。というのは、放射線なしでも膀胱がんは起きるものだからだ。あなたの膀胱がんは、放射線を浴びていなくたっていずれにせよ起きていたがんなのかもしれない。実際、上の引用したサイトは(1グレイのデータだけど)、放射線がなくっても起きた膀胱がんの比率を1とすると、放射線によって起きる膀胱がんは1.5としている。つまり、放射線がなくっても1の膀胱がんは起きている。そして、放射線によって起きたがんとそうでないがんを区別する方法、というものはないので、自分のがんがそのどちらによって起こったか、分かる方法はない。

結局のところ、20年後になったって、たとえがんになったって、あなたが放射線によってがんを引き起こされたかどうか、ゼロか1かでわかることはなにもないんだ。

しかし、ゼロか1かでは言えないかもしれないが、次のことは言えるだろう。

「わたしのがんは、放射線によって起きたのか、それとも自然に起きたのか、どっちの可能性が高いのか?」

さてどう考えるか。これは簡単だろう。自然に起きた膀胱がんが1。放射線によっておきた膀胱がんが1.5。あなたの膀胱がんは、放射線によって起こされたのか、そうでないのか?

放射線によって起こされた可能性のほうが高いと考えていいはずだ。だってそっちのほうが多いんだもん。具体的には、あなたのがんは60%の可能性(likelihood)で、放射線によって起きたのではないかと推察できるだろう。

これがわかったあなたは苦しむだろう。あのとき放射線を浴びていなければ、膀胱がんにならずに済んだのではないかと。60%もの高い確率からは、そのように思っていいはずだ。それでも40%の可能性で、まあどっちにしろ起きた物ではあるらしい。

では、1シーベルト放射線による固形がんの発症確率はどうだろう?リスク1.5倍が意味するのは、20年後の集団において、自然に起こった固形がんの比率を1とすると、放射線によって起きた固形がんが0.5ある、ということだ。

そこで、あなたが固形がんを発症した場合、それが放射線によっておきたものである可能性は33%である。

半分以下なの?つまり、どっちかというと放射線によっておきたものではない可能性が高い。そうはいっても1/3の可能性は大きいものだ。やっぱり放射線さえなければ、このがんは起きなかったこともあるではないかと残念に思うだろう。このように1シーベルト放射線は罪が重い。

さらに進めよう。累積100ミリシーベルト放射線を浴びたとする。その場合リスク1.05倍なのだから、自然に起こった固形がんが1とすると、放射線によって起きた固形がんが0.05。

あなたが固形がんを発症したとき、それが放射線によって起きたものである可能性は、わずかに4.8%だ。あなたのがんは、放射線を浴びても浴びなくてもいずれにせよ起きた可能性は95.2%だ。

それでも、あなたのがんは放射線によって起こったに違いないと不安に思うかもしれない。5%でも疑いたいかもしれない。

放射線さえなかったら、あなたはがんになっていなくて、幸せな老後をすごしていたはずだと恨みに思うかもしれない。

しかし、その可能性は、わずか5%だ。

たとえば、あなたが交通事故で骨折になったとする。骨折の原因が交通事故である可能性は?もちろん100%だ。だが、放射線による健康被害とは、そのようなことが一切言えない、徹頭徹尾確率の世界の話なのである。

おわりに

これはひとつの考え方だ。しかしこれが誤っているということはできないと思っている。これは放射線以外のことにも言える。タバコのように強力なリスク因子でない限り、あなたが病気になったとき、あなたの人生で何かしたことが悪かったのか、とかことさら悔いる必要はない。そんなことはわかんないのだ。

また、本稿は日本の原発行政についてどう考えるか、また現政権の原発への対応に対してどう考えるか、については完全に価値中立であることを申し上げたい。

*1:本稿では、そもそも100ミリシーベルトで1.05倍というリスク推定が正しくないのではないか(たとえば累積放射線量と一回で浴びる放射線に違いがあるのでは、など)という可能性については一切立ち入らない。上記の数値が正しいとして、それでは一般の国民がどう考えればよいかについて、少し考えてみたい。