京都新聞について

イレッサ訴訟>「和解勧告は拒否」輸入のアストラゼネカ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110124-00000087-mai-soci

という記事がありましたが(その評価については以前のエントリよりご推察ください)、それより気になったのはYahooからリンクが貼られていた

イレッサ訴訟  早く和解のテーブルに」京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20101128_2.html

うーん。あまり専門外のことに口出したくはなかったんだけど。

訴訟で原告側は、販売会社はイレッサの副作用の危険性を警告せずに販売し、国も安全性について十分な確認をしないまま承認した結果、被害を拡大させたと主張。被告側は安全対策や承認手続きに問題はないと反論し、平行線をたどっている。
これまでの薬害訴訟と同様、双方の主張に隔たりがある限り裁判はさらに長期化し、被害者救済や再発防止の取り組みが遅れよう。
国も販売会社も、かたくなに原告側と向き合うのではなく、患者の視点に立って問題を考え直してみることが大切だ。

とあるのだけど、この京都新聞のジャーナリスト殿にとっては、その主張のどちらに理があるかはどうでもいいことだ、というふうに読める。「いろいろ時間もおしてくるし、責任があるかどうかわかんないけどとりあえず認めちゃいなよ!かわいそうじゃん!」って言ってるわけですけど。そんなんでいいの?そんなレベルで?

それで、まあそこまではいいともしよう。責任を誰かにおっかぶせることで京都新聞は正義の味方になれて評判も上がって部数も多少は上がるかもしれないですしね。その無理やり責任おっかぶせる相手だって、厚労省の女性官僚とかなら問題だけど、イギリスの製薬会社と国だ。前者に対してなんてなにやったっていいし*1、官僚というか権力側なんていうのは彼らの最大の敵だから、無理やり責任負いかぶせるような不正義だとしても構わないだろう、と。まあ彼らなりのインセンティブに基づいて理解出来ないこともない。

しかしそれでもなお、いかにこのような新聞が権力者や強者とされる立場を間違った事実にもとづいて糾弾しようと、それが何かをよくするなら、それはまあ選択肢としては存在し続けるのかもしれないですね。今回の場合のいいことというのは、「今後薬剤副作用に苦しむような患者が減る」ということに尽きるはずだ。たとえ今回は、正義に背き責任を誰かにおっかぶせるにしても、そのことによって将来の日本国民が薬剤副作用に苦しむ機会が減るというならそれでよいのかもしれない。それについては同意しないこともない。その観点から、京都新聞はどのような提言をしてるかなと思って読んでみた。

抗がん剤には、強い副作用が伴うことが少なくない。それでも新薬に望みを託す声が多いのも事実だ。イレッサの場合も副作用による死亡が相次ぐ一方、一部の患者には顕著な効果があるとされる。
ぎりぎりの選択を迫られる患者らの願いを無視できるものではない。だからこそ治療効果と安全性について国や製薬会社が厳しくチェックし、リスクも含めた情報開示を徹底することが必要だ。
国は医療現場や日本肺癌(がん)学会などとも連携し、副作用対策に万全を期してほしい。

なるほど、京都新聞の提言は次の二つだ。

  1. 治療効果と安全性について国や製薬会社が厳しくチェックし、リスクも含めた情報開示を徹底する
  2. 国は医療現場や日本肺癌(がん)学会などとも連携し、副作用対策に万全を期してほしい

これらは当然、彼らなりに現代の日本の医療に対する提言を行ったものと捉えられ、それは一般的に薬剤副作用を今よりも起こらなくさせることに有効なものだと彼らなりに考えて挙げたものなのだろうから、当然イレッサの際にも京都新聞の言うとおりに行動していればあれは起こらなかったと考えるのが普通だろう。その程度の提言もできないようならジャーナリストなんてやめてしまったほうがよさそうだ。

一つ目について、まず現状どんな情報開示を「していない」と言うのだろう、その点がわからない。どのような情報開示を、今以上になすべきかを具体的に提言すべきだ。それとも、今回のイレッサの件では、原告側が、被告が情報を隠蔽していると主張しているので、この「隠蔽をするな」という意味かもしれない。今回のイレッサの件にあてはめるならば、前回も書いたように、もし仮に隠蔽があったとして、その隠蔽を突き止めて明らかにされていたとしても、承認時試験の結果の解釈には何の違いももたらさないことを前回書いた。つまりこの京都新聞の一つ目の提言には何の価値もない。というか、医療を評価する方法を何一つわかっていないように見える。おろかで無能だ。めまいがする。

ちなみに京都新聞のような無能なジャーナリズムではなくて、米国などが情報開示のために何を求めたかというと、治験や臨床試験を企画した時点でデータベースに登録するよう求め、結果が出て報告する際、そのデータベースに事前に登録されているものしか認めないという手段をとったのだった。

http://clinicaltrial.gov/

あらかじめ登録しているので、結果が悪くて論文化しなかった薬剤*2についても、「なぜ結果を論文にしていないのか?」という疑問をもつことができる。副作用についてもどの項目を調べるかをあらかじめ登録するので、副作用が結果に書かれていない場合、それが意図的に隠蔽したのか、それとも試験企画時から漏れてしまっていた(治験担当者が無能だった)かどうかもわかるだろう。まあもちろん完全ではないけど、京都新聞みたいに「罪があろうがなかろうが、責任を負え」と人の道にもとるような主張をするよりはよほど実効性があって、本当に患者の将来の幸せに貢献する可能性を感じるだろう。こういう主張を何もできない新聞なんて潰れてしまえばいいと思う。

二つ目だが、一般論過ぎて何も言ってない。「みんなで核戦争が起きないようになるように、国々は国連と連携して万全を期すように!」と言ったら核戦争が起こらないと彼らは考えているんだろう。

なんだか京都新聞のジャーナリストの方々は、ゆるゆるの楽な世界で仕事をしているみたいでうらやましい限りだ。その程度人間に和解案受諾を勧告されちゃう厚労省の官僚とゼネカに同情しないでもない。

*1:悪の資本主義帝国の片割れだし

*2:出版バイアスと言う