メトホルミンの効き目を左右するSNP(2)、それをダシにしてオーダーメイド医療について少し語る

ところで今回紹介する論文は、GWASをはじめとするゲノム研究の中でも薬理ゲノム学pharmacogenomicsと呼ばれる分野の研究である。薬理遺伝学と呼んでもいいが、最近はこの言い方のほうが好まれているように思う。PGxという略称が好んで使われる。

薬理ゲノム学とは

簡単にいえば、ゲノムを調べることを、臨床での薬物治療に活かそうとする、臨床にとても近い研究分野だ。具体例のほうが分かりやすいと思うのでそれを述べたい。

イリノテカンという薬がある。ヤクルトが作った薬で、肺癌などに使われる抗癌剤である。これは、効き目もスルドイのだが重篤な下痢などの副作用がある薬なのだ。命に関わるほどの下痢である。UGT1A1という遺伝子上の配列が、この副作用の起こりやすさを決める因子の一つである。UGT1A1*28という特定のDNA配列を持っている人では、重大な副作用が、持っていない人と比べて7倍起こりやすいことが、日本人の研究で証明されている*1。7倍というのはとんでもない数字で*2ある。これは他にもいくつもの試験で確認されており、例えば他の人種、他の癌腫で行われた前向き試験でも、やはり8倍という頻度で副作用が起きやすくなることが示されている*3。もはやイリノテカンを使う前にかならず調べて、UGT1A1*28をもつ患者さんにはこの薬を使用しないという選択をすべきである。事実アメリカでは添付文書にそう書きこまれている。

もうひとつ、クロピドグレルとCYP2C19について挙げる。クロピドグレルは日本ではどちらかというと最近承認された薬で、副作用が多かったチクロピジンの代替に当たる*4。CYP2C19は薬物代謝に直接関係する遺伝子なので、遺伝子型によってearly, intermediate, poor metabolizerに分けることができ、実際にそれぞれの遺伝子型を持っているヒトの血中のクロピドグレル活性体の濃度は異なる。そして、冠動脈インターべション後のクロピドグレル治療中の患者を調べてみると、活性低下型のアレルをもつ患者ではそうでないヒトに比べて心血管疾患*5が1.5倍起こりやすく、ステント再狭窄といって心臓の血管を広げるために入れた管がまたつまってしまうというのは3倍も起こりやすかった*6。これも複数の他の試験でも確認されている。

GWASというと、「成果は華々しいけどなんの役に立つの?」という反応が悲しいけど起こることがある。しかし薬理ゲノム学の成果は、医師がまさに目の前の患者さんにそのまま応用することができ、患者さんの幸福につながる、臨床にとても近い研究分野であるということができる*7

最後にここまでとは毛色の違った論文を紹介する。高コレステロール血症、現在では「低」HDLコレステロール血症も含むので脂質異常症とも呼ばれるが、これを治療する薬に「スタチン」というものがある。最初のスタチンの一つ、プラバスタチンは遠藤章先生によって開発され、彼はノーベル賞の候補でもある。このスタチンの数少ない重大な副作用として、横紋筋融解症というのがある。ゲノムワイド関連解析GWASが行われ、横紋筋融解症そのものではないがスタチン誘発性ミオパチー(弱い版?)を引き起こすSLCO1B1遺伝子上の多型が特定され、一つのリスクアレルを持っていれば4.5倍、二つ持っていれば17倍も起こりやすくなることがわかった*8

薬理ゲノム学は、死を覚悟する必要のない病気においても有用であるか?

さて最後の例だが、これは何が毛色が違うのか。まず手法が違う。前二者は候補遺伝子アプローチといって、薬の体の中での動き(代謝)に直接かかわる物質の遺伝子を調べたところ、やっぱり関係ありましたー、というもの。しかし三つ目はゲノム全てを調べている。おそらく候補遺伝子をやっても意味のあるものが出なかったのだろう。

また、癌を治療する抗癌剤心筋梗塞を治療する抗血小板薬。これらはいずれも重大な病気であり、直接命に関わる。遺伝子検査はまだまだお金がかかるとは言え、全員に検査をすることに躊躇するほどではないと思われる。しかし、これから高コレステロール血症の治療をしよう・・・という患者さんは、日本全国にどれだけいるだろうか?読者の中でも身近に、同僚や、両親などがコレステロールの薬を飲んでいるというのはいるはずである。この方々全てに遺伝子検査をしたら医療保険がパンクしてしまう。もう一つ別の指摘ができる。癌の治療は時間との勝負で、治療にまごついているあいだにもどんどん進行する。副作用などで治療に失敗したら、それそのものが死亡率を高めてしまう。心筋梗塞も同じだ。これらは治療開始前にお金をかけて副作用を起こさないように検査をする価値がある。いっぽう高コレステロール血症はどうか。のちのち命に関わるが、それは5年、10年、いやもっと先かもしれない。今日治療し始めても、一年後でも、実はそんなに変わらない。副作用が起きる予兆(たとえば横紋筋融解症なら筋肉の痛みや血中CKの上昇)をきちんと調べて、だめならやめればよいと言うこともできる。そもそもコレステロール治療薬のように、ごくごく健康に近い人が飲む薬は、抗癌剤などと違って承認の時点で副作用の許容の基準は非常に厳しい。つまりもともと副作用は少ないのである。

しかし、調べないなら、副作用が起きやすいと分かっている人にみすみす薬を投与していることになる。いくら副作用がまれでたいてい軽症だと言っても、スタチンの横紋筋融解症で亡くなった方だっているのだ*9。検査をすれば死なずに済んだ人がいるかもしれない。

さてどうするの??

ようやく論文の解説

http://www.nature.com/ng/journal/vaop/ncurrent/full/ng.735.html

さて、既に疫学の分野で多大な貢献をしてきたUKPDSが、現在多大な貢献をなしつつある薬理ゲノム学に少し手を貸したというのが今回紹介する論文ということになる。ちなみに主体となって研究しているのはWellcome Trust Case Control Consortium、ゲノム疫学分野の巨人である。

対象は2型糖尿病だ。日本でも、潜在的なものを含めると数千万人にのぼるという、まあほんとかいなとも思うが。つまり、先ほど挙げた中で第三の例に近い。ただコレステロールと違って糖尿病では治療は必ず必要で、特に血糖値がかなり高いならすぐ始める必要がある。また、この研究では副作用を追いかけているのではなく、「効果」を見ている。

1024人のスコットランド人糖尿病患者においてGWASを行い、結果をやはりスコットランド人の糖尿病患者1783人と、非常に優れた疫学コホートであるUKPDSの参加者1113人で再現している。要するに万全である。エンドポイントは「治療成功」で、メトホルミン開始後18ヶ月以内にHbA1cという糖尿病の重症度の指標が7%以下まで改善した場合、治療成功である、と定義している。70万ものヒトゲノム全体にちらばる一塩基多型SNPを調べて候補となるSNPを選び、再現性を確認した。そして「治療成功」と関連する一塩基多型SNPをATM遺伝子において認めた。糖尿病患者のATM遺伝子上のrs11212617というSNPを調べ、Cというヌクレオチドが存在すると、Aというヌクレオチドだけをもつ人とくらべて1.3倍、治療が成功しやすいのだそうだ。また、Cアレルを一つ持つ事に、同じ治療をしていてもHbA1cが0.11%低くなるということである。

ちなみにこのCというヌクレオチドは、白人では52%、日本人では59%の人が持っている。日本人のほうが全体にメトホルミンが効きやすい、のかも、しれない*10

さて臨床ではどうする

最初に挙げたイリノテカンのUGT1A1、クロピドグレルのCYP2C19はすぐにでも臨床応用が可能だと書いた。いっぽうスタチンのSLCO1Bは難しいと書いた。さて今回の研究成果はどうか。まあ難しいと考えるのが妥当だ。遺伝子なんて調べなくても18ヶ月投与してみればいい。わずか1.3倍の違いなのだから、その差の0.3にあたる人で治療薬を変えればいいじゃない。ということになる。たしかに血糖値はコレステロールよりは重大で、ほっておけばどんどん血管を傷つけていってしまうのはたしかなのだが、メトホルミンが効かないAAの人だって血糖値は下がってるのだ。その差が0.2%あったというだけである。0.2%!

もちろんこの0.2%が、国民全体で考えると充分大きな違いとなるだろう。しかし「国民全体」にとっての功利主義的アプローチを取るなら、そもそも遺伝子検査のコストだって考慮しなければならない。この遺伝子検査をするためのお金を支払うかわりに、地方の病院に救急外来を一つつくることができたとしたら、あるいは都心に産婦人科医を増やすことができるとしたら、そっちのほうがずっといいことなのではないか。その通りだ。

しかしこれが永遠に役に立たないとは思わない。一つ目の可能性は、将来的には遺伝子検査が本当に安くなるであろうことである。たくさんの意味のある(本研究についても、「効果」は小さいが、「意味」はある)遺伝子検査ができてくれば、コストはどんどん安くなると思われ、それなら医療保険からも支払いが可能になるだろう。

もうひとつの可能性は、これはゲノムというものに特有の特徴を利用することだ。血液検査というものは一般に何度でもやらなければいけない。たとえば血糖値を調べるとして、10年前に調べた血糖値が正常だったら今も正常かというとそんなわけはない。入院なんてしようものなら毎日でも測定される。時々刻々と移り変わるものだからだ。ところがゲノムは違う*11。生まれ落ちたときに一度調べれば、一部の免疫遺伝子とがん組織などを除けば一生変わらない。コストは一回かければ済む。10年前も、今も、10年後も、あなたの遺伝子検査の結果は同じだ。ならば日本国民全員、生まれたときにゲノムを調べたらどうだろう。そしたらあとは一生その情報を持ち歩けば、追加の検査は要らない。

重大な問題は二つだ。だからってやっぱりお金かかるでしょうっていうのが一つ。もう一つは、こちらが本質的であるが、倫理的問題だ。ただでさえいじめ大好きな日本人。「他の人と異なる特有のゲノム配列」なんて持ってようものなら一斉にいじめの対象になるだろう。しかも他のいじめ要因と違って、「変えようがない」のだ。さらに、たとえば知能に関連する遺伝子多型がもし発見されたら*12、その優秀なアレルを持っているものだけが入学や就職を許されたりするかもしれない。実際のところゲノム疫学が明らかにしているのは、DNA配列はたしかに影響するが、その影響は少なく、環境による要因がかなりおおきいのではないか、ということだが、大学はともかく企業などはそんなこと気にしないだろう。生まれ落ちたときの、たまたま偶然両親からもらったDNAだけで人生が決まってしまう。こんなことは絶対に避けなければならない。そのためには厳重なセキュリティ管理の上、もしもこのゲノム情報を悪用するような人間がいたら重大な処罰が下るように法整備が必要だ。本人ですらこのゲノム情報へのアクセスは不可能で、医療上必要のあるときのみ、必要のある範囲においてだけ医師のみが閲覧可能だとか、さらには生情報へのアクセスは一切不可能、必要なときは医師が要求すると、アルゴリズムにのっとり「この薬を投与した場合のこの方の副作用発現率は●●%」と結果だけが表示される、というふうな工夫などを考える必要がある。

もちろん考察はまだまだ足りない。しかし僕のような末端の研究者も、少しは意見交換をしなければ。

これが本当のオーダーメイド医療だ。日本国民はこのような未来を望むだろうか。日本がこのような国になるかどうか、それは国民が決めることだ。みんなもっと知ってほしい。

*1:http://cancerres.aacrjournals.org/content/60/24/6921.full

*2:とはいえ以前書いたように相対危険度の解釈には注意が必要だが、イリノテカンでは充分な頻度で重大な副作用が起こるので、間違いなく大きな意味のある数字である

*3:http://171.66.121.246/content/24/19/3061.full

*4:ちなみにアグレノックスというのはアスピリンとクロピドグレルの合剤の商品名

*5:複合エンドポイント、心血管死+心筋梗塞+脳梗塞

*6:http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0809171#t=abstract

*7:事業仕分けとかにも強そう

*8:http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0801936

*9:これを頻発したセリバスタチンは既に販売中止になっているのでご安心を

*10:難しく説明すると、人種によって連鎖不平衡構造が異なるという現象のため、これだけでは言えない

*11:全般的にはそうだと思います、異論がでてきているのは承知

*12:今までのところ見つかってないですよ、念のため、以前のエントリを参照してください