才能を予測する遺伝因子について(1)

DNAサンプルによって子供の才能を判定するというビジネスが始まっているようだ。中国とかで(http://allabout.co.jp/finance/gc/45607/)。まあ、どこかがやるとは思っていた。わたしはこういったビジネスには反対派なのだが、Yahoo知恵袋の回答(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441275694)など見ると、否定派は否定派でなんの知識もなく感情的に反発してる人が多いようだ。困ったことだ。

専門家としての結論から言えば、これらの「才能」というか、要するに持って生まれた特定の分野への向き不向き、すなわち同じ環境で育ち、同じ努力をしても他の人より運動ができるようになったり、勉強ができたりという個人個人の違いが、ゲノムに刻まれているというのは十分考えうることだ。ただ、正直なところ具体的にゲノム上の配列のどこがどうなればよいのか/悪いのかというのは、まだ現時点ではほとんどわかっていない。すなわち、ゲノムを調べれば才能がわかるというのは将来的にはありえる話だ。しかし、現時点で、特定の業者がゲノムを調べて才能を判定しているとしたら、それはあまりに時期尚早だ。そのほとんどは根拠がないか、あったとしても薄弱なものであると言える。はっきり言えば詐欺である。

逆に、たとえば将来ボケやすいかどうかといったような「病気になりやすさ」は、「才能」などという項目と比べるとずっとよくわかっている。病気のほうは、才能の研究よりもはるかにお金が出やすいし、倫理的にも問題が少ないし(そもそも病気の人を救うために行うのだ)、研究者もモチベーションがはっきりしているから、はるかによく研究されているからだ。

ここでは「子供の才能を予測する遺伝因子」なるものについて、現在得られている知見と、その意味について二段階で調べてみて、考えてみたい。というのも、わたし自身も前述した「病気の遺伝疫学」の専門家であって、才能の遺伝疫学については詳しくないから、知識としてはあまり持っていないからである。したがって、これから調べることによってしかこの記事を書く事ができない。とはいえ、その研究手法については熟知しているから、研究結果は正しく評価出来ているものと信じる。

まず最初に

まず最初に、才能に遺伝因子が影響するとはどういうことかについて簡単に述べたい。この点は一般には誤解されていること甚だしく、中には完全な誤解を元に激しく憤ったりしてしまう方もいらっしゃる始末である。ここは知っている方は飛ばして結構である。

DNAとはなにか。これはヒトの設計図である。DNAはヒトの細胞の中心近く、細胞核の中に大切に織り込まれて貯蔵されている。最近はDNA以外の要素、例えばメチル化などというものもヒトの設計図としての働きに影響を与えることが分かってきているものの、それでも依然としてヒトの大部分を設計しているのはこのDNAである。DNAは「ヌクレオチド」なる物質がヒトの場合約30億もあるもので、この情報が設計図となっている。このヌクレオチドの並びを「配列」という。ここまでDNAという言葉を使ってきたが、これを「DNAによって表された遺伝的情報」として扱うとき、''ゲノム''と呼ぶことにしている。ヌクレオチドはA、C、G、Tの4種類あるから、ゲノムという名前の設計図は430億通り存在しうるわけだけども、実際には人間であれば、お互いゲノム配列は99%以上は同じである。当たり前だ。だからこそお互い同じような見かけをした「人間」という種になるわけだから。しかし残り1%以下には違いがある。このお互いの違いを、われわれは「遺伝的多様性」と呼んでいる。注意して欲しいのは、「遺伝」という言葉からだと、親から子へ受渡される遺伝情報だけを想定しがちだということだ。親から子へ受け渡す現象のことは、われわれは「遺伝的継承」と呼んでいる。一方、「遺伝的多様性」は親子関係なく、人間集団に等しく存在するお互いの違いのことである。僕らはみんなお互い異なっており、それぞれがオンリーワンであると言える。

さて、このようなお互いの遺伝的な違いにも種類がある。いくつかのものは、非常にまれである。たとえば数万人にひとりしかそれをもっていない。何故そのようなことが起こるのか?そもそも遺伝的なお互いの違いは、突然変異によって起こっている。ある突然変異が数万年前に生じ、それが現在まで残っているとする。数万年間のあいだに、最初に突然変異を起こした人が子供を生むことでこの突然変異が継承され、さらにその人が子供を産み・・・としていくことでこの突然変異の頻度が大きくなる。このようなことが起こるためには少なくともこの突然変異があっても20-30歳くらいまでは生きることができて、子供を残すことができるようなものである必要があるだろう。このように古くからあって頻度の大きい遺伝的な違いのことを「遺伝的多型」という。いっぽう最初に述べた、とてもまれなもの、これは通常はごく最近生じたものであると考えられる。一般にはこのようにまれな遺伝的な違いだけを「突然変異」と呼ぶ。

突然変異はそれ自体がまれであるから、それによって引き起こされる現象もまれである。「突然変異」によって超人的な運動選手が出現する可能性はないとは言えないが、あまりわかってはいない。いっぽう「遺伝的多型」は、だれもが持っている遺伝的な違いである。たとえばあるクラスの40人のうち25人は遺伝的なタイプA、10人はタイプB、5人はタイプCだったりするわけである。運動能力や知能、芸術の才能などはみんな、人によって様々に異なっているわけだから、このような才能に影響する遺伝因子もやはり頻度の高いもの、すなわち遺伝的多型ではないだろうか・・・と考えるのは自然なことだと思われる。