先日の記事について

謝辞

自分ではてなブックマークでアナウンスしといてなんですが、多くの方に読んでいただいてありがとうございます。また、好意的な反応が多いようで恐縮しております。そしてこれを読んでいただいているということはまた訪問していただいたということだと思いますが、物好きですね(笑)。ありがとうございます。nilさんより優生学についてのコメントをいただきましたが、これはとてもsensitiveな問題でもあり、時間のあるときに書いてみようと思います。現在のところゲノム研究している私の意見としては、「正常なゲノム」なるものを有する人間などおらず、もし「劣った遺伝因子を持つものを淘汰せよ」と言おうようなら、全世界全人類がその対象になるだろう(言いだしっぺも含めて)というものです。しかしこれはもうすこしきちんと数学的に考える必要がありそうです。

少し補足

前回の記事の要点は、報道そのものはもちろんだが、それに対するはてなブックマークのみなさんの反応をみて、やはり間違って解釈されているというのに気づいたために書いた。候補遺伝子を発見したという研究そのものにケチをつけているわけではない。サイエンスにしろ、医療にしろ、報道する際の用語の不確実さには以前より苦々しく思っていたが、はてなブックマークがあったおかげで、確かに不確実な用語を用いることで誤解をまねくことがあるということを認識することができたので、急いで書き上げたものである。もしマスメディアの方が読まれるようなことがあったらこれはとても幸いなことだ。最近の朝日新聞ホメオパシー報道に接し、賛否両論あるところに見識のある意見を提示するというマスメディアの本分を垣間見た気がしたので、今後に期待しているのは確かなのである。

ところで発現解析というのがイマイチピンと来ないところもあると思いますので少し補足させていただきたい。といっても私の専門はゲノム、餅は餅屋とは言うものの、チップを使った大規模解析という点では共通点はないでもない。

発現解析は癌を対象に行われることが多い。大雑把に言うと、2010年現在の理解では、多くの癌は(1) もともと癌になりやすい遺伝的多型*1がある。(2)さまざまな環境要因、たとえばX線を浴びたり喫煙するなどによりゲノムDNAに損傷が起きる。(3) ゲノムDNAが改変された細胞が出現し、癌抑制遺伝子がうまくはたらかなくなったり、癌原遺伝子が活性化するなどして、これが癌細胞となって無制限に増殖してしまう。というメカニズムが想定されている。通常は(2)の要因がおおきな役割をはたすと考えられている。ただし中にはごく一部であるが強い遺伝性を示す癌もあって、その場合(1)が主要因であり、ほんの少しの(2)にさらされることで(3)、癌を発症する*2

するとまず第一に、同じヒトの正常組織とがん組織のDNAを比較してみたいだろう*3。そうすれば、(2)の要因によって何が変化したかがわかる。ただし、DNAが違うポイントが即、癌の原因ということはできない。ゲノムDNAの大部分は遺伝子をコードしておらず*4、そういったところに違いがあったからと言って、そこは元々のゲノムDNAとは違うものの、癌になったかどうかには直接関係ないという可能性があるからである。

そこで、正常組織と癌組織のmRNA発現量を比較するのである。mRNAはゲノムの遺伝子コード領域から転写されてできており、これをもとにタンパク質が直接生成される。タンパク質っていうのは細胞の主要な構成成分で、何が変化してもおそらく細胞に何らかの影響を与えるものである。そこでmRNA量に正常組織と癌組織で違いがあれば、ゲノムDNAに起こった損傷がまさに機能的に意味の有る変化をもたらしていると考えられ、癌の発症に関係する有力な原因と捉えられるわけである。

それでは今回、うつ病を用いた解析だったわけだが、この場合どういう意味があるのだろうか・・・というと私にはわかりかねる。うつ病が、ゲノム損傷を元に起きるという仮説はあまり聞かない。今回の研究が明らかにした、うつ病患者の脳組織におけるMKP-1遺伝子の発現亢進のもつ意味はこれから明らかにされていくと思われる。また、この最後の一手がなかったために、Nature/Scienceといった最高峰の雑誌ではなく、一歩下がってNature Medicineに採用されたのだろうと想像する。

最後に

ちなみに私が当該記事に反応した理由を述べたい。うつ病統合失調症、かつて精神分裂病と呼ばれていたもの、は双方とも強い遺伝性があると昔から言われている。

遺伝性というのは、親がうつ病なら子もうつ病という意味ではない。親がうつ病なら子もうつ病に「なりやすい」というくらいの意味である。その程度は、遺伝統計学的な指標、「遺伝率」によって表すことができる。

昔から遺伝性がある(遺伝率が高い)と言われておきながら21世紀になるまで原因遺伝子がほとんどわかっていなかったもの・・・というのは山ほどある。糖尿病や喘息がそうだし、癌だって弱いもののそうである。そもそも身長がそうだ。身長が高い両親からは身長が高い子どもが生まれやすいというのはほとんど経験的に納得されるところだろう。だがゲノムDNAのどこがどうなると身長が高くなったり低くなったりするのかはまるでわかってなかった。これらが近年急速に解明された。ヒトゲノム計画が終了したからだ。糖尿病も、身長も、癌で言うと乳癌や前立腺がん、大腸癌などがどんどん解明されてきている。

ところが、これほど研究が進んでもまだほとんど何も分かっていないものがある。うつ病統合失調症だ。もしかして遺伝性疾患ではないのかもしれないとすら疑ってしまうほどだ。というわけで、うつ病のゲノムを解析して成果を得たのか?と反応したというわけ。それで原文見たら違ってた。そしてはてブをみたら、みなさんもゲノム解析と勘違いしてた。というわけである。

*1:遺伝的多型については、以前の記事「才能を予測する遺伝因子について(1)」を参照ください

*2:Li Fraumeni症候群やBRCA1/2変異による乳癌などが挙げられる

*3:日本では国立がん研究センターなども参加している世界的コンソーシアム、ICGCが現在これを行っている。http://www.icgc.org/

*4:この非コード領域が実際何をしているかは現在鋭意解明中で、全く役たたずというわけではないです