雑感

いつもどおりの「アマチュアの単なる感想の垂れ流し」ですので。その点ご留意ください。

結婚制度の、今話題になってるらしい記事の話です。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130514
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/05/post-a02b.html

結婚制度は崩壊させたほうがいいのかどうかってことですが、つうか単に文中にある、なぜかブクマが8件しかない番長の記事リンクを紹介したいだけです。

この、結婚制度の話をするときはどうしてもフランスの話が出てきますかね。自由そうだし、女の人にはフランスって言うだけでそれいいかも、ってなる人が、まあ一定数いますしね。

フランスでの結婚式

わたしはフランスに住んでいるといってもそんなに友達はいませんので、フランス人の結婚式に出席したことはないんですけど、話に聞くところによるとその手順は

  • 市役所で、市長本人が参加する小規模な結婚式を挙げ、その目前でお役所の書類に結婚の署名をする(パリだと市長ではなくて区長だったかな?)

フランスの街々というのは、その街の市役所そのものが建築後数百年の歴史に登場する建物だということがあるので、歴史的建造物好きが高じてフランス留学に至った僕としては見逃せないわけですが、そういった市役所の見どころの部屋でちょうど結婚式が行われていて、立入禁止状態になってたりすることもありました。でもそこから素敵な格好をした花嫁・花婿が出てくるわけだからまあそれもアリかなって感じですかね。

  • その後、キリスト教徒の場合は、教会に行って神父さんの前で結婚の誓約をする

フランスの教会はわりとフリーダムで、ミサ中ですら入ることは可能なことがあるので、結婚式も扉付近で見ることはできたことがあります。ええなー。あれ。教会そのものが、たいてい700年以上の歴史あるからなー(そこにしかこだわらない)。

で、結婚式の通例として、式場間を車で移動する際、お花の飾り物をつけた車に乗って、クラクションを鳴らしまくりながら通り過ぎる、道ですれ違うなんの関係もない車も、クラクションを鳴らし返して祝福する、ってことをやることになってます。フランスでものすごいクラクションの鳴らし合いを見たとき、交通上のケンカをしてるってことも、まあよくありますが、もしかするとそれは結婚式の祝福を行なっている幸せな光景なのかもしれません。僕もやってみたぜ。ニコニコして手を振ってくれたぜ。実はパリではあまり見ません。自分は一回も見たことないかも。郊外の街で見た風景です。

はっきりいって、カッコいいです。花嫁は、幸せそうです。

「結婚は過去の制度となりつつあり、もはや100年後に残っているとはちょっと思えないよね」、という極論がちきりんさんの記事に挙げられています。

これは、「100年後には人類の100%がリベラルになっている」という主張でしょう。

私は某サイトによるとリベラル右派ですが、しかしそれはありえないと思います。現在の、ちきりんさんが挙げたような「世界」ですら、各国ではリベラルと保守が交互に政権を担当しており、常に議論を戦わせています。特にフランスは凄惨な大革命を経験し、そんなふうな過去をゼロにして全てを革新的に執り行うというような選択は決してしない国の第一であろうとすら思います。

少なくとも欧州においてはこの質問は、「100年後にキリスト教の日曜ミサはやらなくなっているか?」とか「100年後にキリスト教式の葬式はやらなくなっているか?」とか「100年後にローマ法王はいなくなっているか?」と同じ問いだと思います。かなり100%に近い確率で、無くなっていないと思います。

フランスにおける結婚制度

結婚制度についてどう思うかというのを同僚に聞いたことはあるのですが、あこがれではあるが面倒だ、という感じで言っていました。最近パリではあまりやらなくなったので寂しいことだ、と言っていたおばちゃんもいました。ココらへんの詳しいところについては、いつもご紹介する番長ブログの優れた記事をどうぞ。

フランス番長 フランスで事実婚が多い理由、番長がお教えするぜ

フランスに実際住んでいる私からすると、フランスに関する各種記事において最も現地感覚・現地での報道に近いのはこの番長ブログであると自信を持って言い切りたい。みなさんも興味のある記事はどんどんたどって読まれるといいです。オススメです。

PACSの制定意図

番長記事以降でのフランス国内での変化というと、ご存じの方も多いと思いますが、同性婚が合法化されました(CNN.co.jp : フランスの同性婚合法化法案、成立へ 反対派は違憲主張)。国論を二分しているとはいえ、結婚したい(させたい)のかい!なんかちきりんさんの主張の方向性とは違うような気もしますね。

これは重要なところで、すでにフランスにおいて同性カップルはPACSという手段を持っているが、それでもなお「結婚」という制度を求めている、もしくは国家として同棲によるPACSという制度とは別に、結婚ということをさらに認めようとしている、というふうにそれだけ「結婚」という制度に価値を置いているということになるのではないでしょうか。

一般的には、ちきりんさんの挙げたような、結婚していない同棲カップルや同居家族に、結婚しているカップル・家族と同等な法的保護を与えるという方向性は、フランスが最初に1999年PACSとして法制化し、それがどんどん欧州各国に広がっていった、ということになっています(wikipedia:民事連帯契約)。

実はフランスでのPACSの制定には、少し裏話があります。ここにはフランス語教師(フランス人)から言われたことを書きますが、裏とりとしてはこの辺りにちらっと書いてあるかな:http://pacs-japon.com/about-pacs/archives/3

要約するとPACSは、結婚制度なんて意味が無い、結婚制度を崩壊させる、という目的でつくられたものではない。同性愛者保護運動の一環であったということです。

現在の同性婚合法化をなしとげたのはフランソワ・オランド大統領の社会党政権です。現在は下院アサンブレ・ナシオナルも社会党が多数派を取っています。つまりフランスは完全な左翼政権となっています。

1999年のPACS制定当時のフランス大統領はジャック・シラクで、中道保守ですが、首相はリオネル・ジョスパンで、社会党でした。フランスの政治は、こういう保革共存(コアビタシオン)が何回かあります。

ここでジョスパンの社会党内閣が提案したのがPACSだったのですが、実は社会党政権はこの時点では同性婚法案を出したかったのだそうです。しかし保守の猛反対で、どうにも成立はできなそうだった。保守派の考えは、「同性の結婚自体は良いが、その子供(もちろん養子)を正しく育てられるとは思わない。結婚によって形成される家族において、子供には父親と母親が必要だ。だから同性婚は容認できない」というようなものだったそうです。石原や亀井よりはまだ寛容だけど、それでもガチ保守派ですなー。

それに対する社会党政権の回答が、結婚制度としてではなくてもよいから、同性カップルに夫婦としての法的保護だけは与えてくれ(同性カップルの働いている側が亡くなったあと、働いていない側がひどい困窮に陥るのを避けさせてくれ、など)。というものでした。それがPACSの当初の狙いだったそうです。

そして、そのため、PACSには結婚とくらべてひとつ、これを背景とした制約があります。

養子を取ることができないのです。

なんじゃそれ、っていうこの制約の理由は、同性カップルに子供を持たせたくない保守派に妥協した結果なわけです。

したがってPACSはもともと同性カップルに法的保護を与えるために作られましたが、異性カップルも、こりゃいいやとどんどん利用したってわけで、その結果として現在の状態になったんだそうな。。。

社会党がやりたかったことは、今も昔も同性婚の容認であって、結婚制度の崩壊とかは(まあ別に反対もしてないでしょうが)特別意図する所であったとは思われません。1999年PACS制定から2013年同性婚合法化までが社会党の一貫した主張であったのですが、PACSの意義はなんだか完全に別の方向で取り扱われることになっているというのが現状だと思われます。

終わりに

要するに何が言いたいかというと、ちきりんさんの言っていることはあまりに一神論的主張すぎて(リベラル一辺倒すぎて)、彼女自身は日本が世界に遅れていると言いたいようなのですが、むしろその議論の仕方は現在の世界的な政治的議論の潮流としては遅れているとすら言えるではないかということです。

日本から欧州を眺めるとき、欧州は決して一枚岩のリベラルってわけではない、各国のどこにおいても保守とリベラルが議論を重ねた後に今がある、っていうことは意識しておいてもよいのではないかと思います。ちきりんさんの主張というのは極論を述べて議論を喚起したいということなのだろうとは思います。しかしちょっと読者を舐めているのではないかなと感じるところも多いです。

私自身はPACSは、その当初の思惑はどうあれ社会に広く根づいており国民に支持されていて、同様に日本で施行されればある程度の国民が支持する可能性はあるとは思います。しかし、番長ブログに挙げられているように、非キリスト教国である日本においてはもともと結婚・離婚が比較的容易なので、そこまで多大な支持が出ることはなかろうとも思います。そしてまた、結婚制度というものに象徴的意味を見出す保守派がいる限りはそう簡単に結婚制度が崩壊するとは思えません。リベラル右派である僕ですらそうです。

婚外子の割合が50%前後になってきているというのは、これが今後100%になるということを意味するとは限らないのです。50%前後で平衡すると考えることだって出来ます、ちょうど国民における保守とリベラルの割合がそうであるなら。

いずれにせよこれは、フランスでもやったように、保守とリベラルの慎重な議論の上で、国民的に納得の行く方向性として定められるべきであろう、そうでなくて「世界はこうだ!日本もこうしろ!」というのは、民主党も何回かやっていますが(二酸化炭素排出規制とか・・・)、次の選挙で国民の猛反発を食らうだけっぽいのです。

ではどこでどのように、保守とリベラルが建設的な議論を行えるのか?というのがわからないんですけども・・・フランスでは新聞や雑誌やテレビでやっているんだそうですが、かなり感情をむき出しにしてツバ吐きながら主張のやり取りをしており、それのみならずまちなかでは支持者たちが豪快なデモを繰り広げたりストしたりやりまくっていますので、なぜその最終的な結果として具体的な政策に行きつけるのかよくわからないんですが、おそらくある程度やりあったあとは「C'est la vie.(ま、いっか)」で終わらせているのだろうというのが私の今のところの見解です。日本は当然そうは行きませんので、日本人にあった、国民的議論を存分に行った上で集約できる方法というのはこれから考えていくべきところなのだろうと思うのです。国民性から言うと、アメリカでもイギリスでもなく、ドイツが近いのかもしれませんが、ドイツの国内事情については私は全くわかりません。