安倍晋三自民党新総裁の病気について

安倍晋三さんが自民党の新総裁になられたということです。

僕自身はごく最近知ったのですが、就任時の記事のブコメを見るとまだご存じない方もいらっしゃるようでしたが、安倍さんの前回首相退任時の「胃痛」と言われていたものは潰瘍性大腸炎(Ulcerative colitis, UC)だったのだそうです。それについてある意味興味を持って見ています。

私自身は、慢性疾患の患者さんがそれのない普通の方と同じような人生を送れるようにして差し上げることが願いなので、こういった話は胸が痛みます。潰瘍性大腸炎は慢性の下痢と血便をずっと繰り返す大変な病気です。親類に、同じ種類の病気であるクローン病の人がいます。いずれも自己免疫性疾患と言って、原因はまだ不明*1ですが本来ヒトを守るためにある免疫システムが暴走して自分自身の細胞を攻撃してしまうという病態を示します。これらの病気の場合は腸管に対して自分自身の免疫細胞が攻撃をしかけていますが、他にも自分自身の免疫細胞が関節に攻撃をしかけると関節リウマチ、神経細胞だと多発性硬化症、皮膚だとアトピー性皮膚炎、気管支だと気管支喘息などといった病気が起こります。後二者は特にアレルギー性疾患と言って関わる細胞の種類やメカニズムがやや違います。全身のほとんどの臓器に対して攻撃をしかける総元締めのような病気として「全身性エリテマトーデス」などといった病気もあります。一般的にこれらの病気は女性が罹患することが多いです。孤発性のこともありますが一般に弱い家族歴があり、まれに強い家族性をもって起きることもあって、また癌の随伴症状であることもあります。

それで、安倍さん自身は潰瘍性大腸炎に画期的新薬が出たから今は大丈夫だ、と言っているそうで、その話を疑う向きもあるようですが(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120914/p3)、それを聞いたら「あああれのことかなあ」と思い浮かぶ薬は実在します。

ですが、安倍さんが言うその画期的新薬とはアサコールのことだそうで(http://www.j-cast.com/2012/09/14146561.html?p=all)、ちょっとずっこける感じ。思い浮かべた薬はそれではありませんでした。まあいい薬みたいですけども。

アサコールというのは基本的には標準的医療であったペンタサを置換する薬で、ペンタサは軽症〜中等症の潰瘍性大腸炎に対する薬です。ペンタサでコントロールが効かなくなるとステロイド、ネオーラルなどと移行していく。潰瘍性大腸炎の治療というのは最終的に大腸の炎症のおさまりがつかなくなれば、大腸全摘出術を考慮します。当然人工肛門になります。そういった軽症から重症まで幅広いスペクトラムを示す疾患の中で、安倍さんの潰瘍性大腸炎は現在アサコールでうまくいっているということならそれは軽症から中等症までの範囲であると推察されます。ただ首相退任時には重症化していたのでしょう。

先ほど申し上げた画期的新薬ってこれだろうなあと思った薬っていうのはレミケード(薬効成分名インフリキシマブ)のことです。分子標的薬と言って、21世紀に入る前後に実用化された薬の一種で、これまでは化学物質の広範なスクリーニングによってヒトに有効な物質を拾い上げるというのが創薬戦略だったところ、分子生物学が明らかにしたメカニズムにもとづき、病気に効果的である特異的な効果を持つと考えられる物質を狙って作成するといったものです*2。インフリキシマブは、炎症の根本段階の物質TNFαを捕まえて排除することで免疫の活性化を根本から止めてしまうというもの。クローン病、関節リウマチで劇的な治療効果を上げており、2010年に潰瘍性大腸炎にも適応になりました。同様の薬としてエタネルセプト(エンブレル)、アダリムマブ(ヒュミラ)がありますが、これらは潰瘍性大腸炎の適応はまだです。エンブレルは取る気ないかも。

というわけで安倍さんはまだ切り札を残した状態で寛解状態にあると言えると思います。

ところで安倍さんが潰瘍性大腸炎のコントロールがつかなくなって総理大事を退任したとされるのは2007年のことですが、インフリキシマブの潰瘍性大腸炎への有効性についての論文はNew Engand Journal of Medicineに2005年頃発表されていました。より小さい研究で良ければもっと前からあります。アメリカでの適応取得は2006年だそうです*3。もちろん日本では2010年まで薬事承認を得てはいませんが、日本でのクローン病への適応取得が2002年、関節リウマチが2003年にすでにあり、病院にはレミケード自体は置いてある状況です。使おうと思えば使えない状況ではなかったと言えます。

現在アサコール寛解状態にあるとされる安倍さんですが、2007年退任時はおそらくかなり病状が悪化していたと思われるので、多分アサコールでは効果がないと思います。ペンタサ増量やステロイド、ネオーラルは多分やったと思うので、それでも効果がなかった状況だったのではないかと思います。ということは、レミケードは、使ったんでしょうか?

使ったとしたらそれは保険外診療ということになります。潰瘍性大腸炎の適応取得は2010年です。治療費はとんでもないことになるでしょう(ああいう画期的新薬は高いのです)。しかし一国の総理大臣が病気になって国政が危ういという時、お金の問題で治療を行わないなんてことあるんでしょうか。とはいえ、国民には保険診療の縛りで保険外診療をやりづらくしているくせに総理大臣だけ抜け駆けするという批判が起こるのは目に見えてはいます。あとクローン病という「保険病名」をつけちゃうって手もないではないですが、これをさすがに総理大臣にやったら査定対象で慶應大学病院はものすごい差し戻しをくらうでしょう、多分。いやわかんないな。ていうか総理大臣の治療のために保険病名をつけるのかどうかってすごい問題だ。やりづらそう。

逆にレミケード使わなかったんだとしたらどうなんでしょう。アメリカでは2006年の時点ですでに有効性が承認され、しかもこれまでクローン病や関節リウマチに対し人種差なく日本人でも有効であることが示されている薬を、一国の総理大臣が病気になって国政が危ういという時に使わなかったのだとしたら?

憶測に過ぎませんが、2007年退任前後にこの病気について完全に伏せており、またその間の治療などについてほとんど報道がないところを見ると、使ったのかも知れませんね、レミケード。それで効果がなくて、最終的に諦めたのかも。だとしたら、同じようにストレスで(自己免疫性疾患はストレスで悪化する病気なので)潰瘍性大腸炎が悪化した時、それを回避できるのかな。「画期的新薬が出たから大丈夫になった」というのはちょっとわからないなということにもなりますかね。まあ本当のところはわかりません。

それでも慢性の病気の人がそれを理由に能力を発揮できないとしたら残念です。個人的には、慰安婦発言や南京虐殺関連の河村名古屋市長支持などの面から、安倍さんを支持できませんが、そういったことは病気を理由として追い落とすようなやりかたでなく、左翼リベラルが真っ向から論陣を張って対抗してもらわないと、結局日本は前に進めないと思いますから。

*1:私がやっている遺伝疫学研究はこれらの病気に現在真っ向勝負を仕掛けているような分野です。あとは当然炎症性疾患だから炎症メカニズムの研究と、分子模倣メカニズムと言って感染症の方面からの研究も有力です

*2:実はあのイレッサもこの種類の薬で、イレッサがあれだけ期待されてしまった理由の一つに、レミケードと、あともうひとつ慢性骨髄性白血病グリベックの衝撃的な効果があったものと思います

*3:http://www.medicalnewstoday.com/releases/54824.php