朝日新聞さん、僕はそのやり方はどうかと思う

まず最初に申し上げますが、わたしは自分が中道よりリベラルだと思っています。朝日新聞毎日新聞の姿勢はどちらかといえば好ましい報道姿勢だと思っております。

前回投稿にて朝日新聞記事に対し、「朝日新聞はインフルエンザウイルスの感染様式を、本来飛沫感染であるところ空気感染であるように書いていておかしい。特に今回記事のタイトルの書き方では、まるで遺伝子変異が導入されることによって飛沫感染から空気感染に変化するかのようだ」と批判したところ、新聞社に問い合わせていただいた方がいらっしゃいました。

朝日新聞の窓口に問い合わせてみました。

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 記事掲載にあたりインフルエンザの専門家にうかがったところ、
「インフルエンザの場合、咳やくしゃみによって飛び散った体液による飛沫感染のほか、
咳やくしゃみなどで体外に出たウイルスが空気中を漂う塵にくっつくなどして、
その塵などを介しての空気感染もあり、飛沫感染か空気感染かのどちらかに分類する
ことは科学的にできない。
『飛沫』という単語は一般的な日本語として定着していないことも考慮すれば、
空気感染と記事で表現しても問題ない」というご説明でした。

 このため、今回の論文に関する記事では、「空気感染」という表現を使いました。
このインフルエンザの論文公表をめぐる経緯については、昨年12月以降、何度か記
事にしておりますが、
当初より、空気感染、との表現にしております。ご理解いただければ幸いです。

id:t-tanakaさん、ありがとうございます。専門家の方がそうおっしゃるならしょうがないですね(笑)。インフルエンザウイルスについては非専門家ですし。では朝日新聞さんの記事はそれでいいです。そういう新聞社さんだということで(アピタルは好きですが)。

しかし私個人的には納得しないことを以下に書き下してみます。長いです、長い。簡単にまとめるなら、朝日新聞さんからは、国民に付託された第四の権力としての矜持をまるで感じない。保身術にばかり長けていて、戦前と同じじゃん。ということです。みんなわかっていたって?そうかもしれないけど期待しているんですよっていうか期待しないことには日本はどうにもならん・・・自由報道協会とかアレだし・・・


前回記事にも書きましたとおり、空気・飛沫・接触の、現在世界的に使われる院内感染様式分類は、感染予防を第一義的な理由として行われた分類です。

現場の医療を考えてみましょう。当然ながら一般診療において、インフルエンザ患者に、結核や麻疹と同様の空気感染予防策を施してはいません。結核や麻疹の患者さんを発見したなら個室病棟に入室したり、結核専門病院に送ったりします。結核については専門的治療が必要ということもありますが、麻疹は特に治療方法があるわけではありません。感染予防が唯一の目的です*1。それは空気感染するからであるとは前回書きました。では、インフルエンザを見た現場の医者が患者さんを目の前にして「どちらかに分類することはできないもんなんだよ、まあどっちでもいいよん、片方は難しい言葉だから、簡単な方の空気感染ってことにしとこうか」なんて言うでしょうか。

研究者がそのように考えることはもちろんありだと思います。研究者はこの世のすべてを疑い、自分で分析したもののみを信じてしかるべきですから。しかし現場の医師はそんなわけにはいきません。実践しないといけないのです。医学研究の成果を、患者さんたちに実践して彼らの命を守るのが医師の仕事なのです。ですからどちらかはっきりしないといけません。本当にはっきりしないのなら、危険よりの判断をするか、安全よりの判断をするか、現実的な条件下で決定しないといけません。

そんな立場の違いを感じますね。

しかし、新聞紙が、後者の客観的他者目線のほうを採用するんでいいのでしょうか?

わたしが文中に書きましたように、飛沫感染・空気感染を厳密に分けて書こうとするCDCのやりかたは、医療現場での標準的な感染予防策構築が最大の理由です。研究者が「どちらかに分類することはできな」くっても、どちらかの対策をしなければならないのが現場の医療です。研究レベルでの振る舞いがどうであろうと、医者は結局眼の前の病原体がどちらかの振る舞いをすると考えて、それに応じた感染対策をするしかしょうがありません。「実践的」とはそういうことです。

どうしても空気感染と飛沫感染がほとんど区別できないレベルで混在するとするならそれは空気感染とすべきです。そうでないと、それに飛沫感染予防策を適用した時の被害が大きいからです。このように実践的な理由で作られた、CDCのガイドラインには、インフルエンザについて、確かに前回記事コメント欄にhouyhnhmさんの書かれたような点が指摘されているものの、それでも現状ではルーチンでの空気感染予防策を行う必要はなく、「飛沫感染」に分類されています。

これは間違いなく、実践的な理由による分類です。間違って空気感染でもまあ影響は多大ではないというのが一つ、もうひとつは罹病率があまりに高い疾患であるので全員に空気感染予防策なんかする金も人も場所もない、ということ。そして最後に、多くの場合飛沫感染と証明されているということも当然あるでしょう。

朝日新聞さんの相談した専門家は、「分類は不可能なので、どっちでもいい」と言ったそうです。

アメリカCDCは、分類の困難さを指摘した上で、実践上「飛沫感染」に分類したのです。他の国際機関もすべてそうですよ。

では致死的な鳥インフルエンザならどうか?それは、それこそが、現在世界で議論となっていることであるはずです。そして、厚労省が対策をねっており、またそれに、朝日新聞社さんは、ジャーナリズムとして、監視し提言をしていかなければならないことであるはずです。

もし遺伝子変異によって生じた変異インフルエンザウイルスが、明確に空気感染する、ということならそれは大発見であるし世界の感染症予防対策に重大な影響をあたえるんです。

日本の医学研究者が、英米的経験主義に基づく実践的な研究手法を好きではない(どちらかというドイツ観念論的なメカニズム解明を好む)ことは充分存じてはいるものの、こと感染症学に関しては特に実践的であるべきだろうと思います。かつては日本も、日本住血吸虫を日本から撲滅するという(地図で見ると日本住血吸虫なのに日本での分布がゼロであるという)快挙をなすなど実践的でありましたが、ワクチン義務化解除に現れているように昨今見る影もありません。その大きな理由として、「主要な大学医学部に感染症科がほとんどない」ことが言えると考えています。感染症の研究者はいます。国立感染研もあります。しかし、「感染症科専門の医師」があまりいないのです。アメリカには山ほどいる専門医なのに、です。これが、日本での実践的な感染症学の普及を妨げているような気がしてなりません。

わたしが前回ブログ記事に最後にちょこっと書いていた、青木先生はそんな素晴らしい感染症医療実践家の一人で、オピニオンリーダー的な方です。聖路加国際病院の古川先生、神戸大学の岩田先生もそうです。私は日本のマスコミが感染症関連のニュースを書くとき、是非これらの方のどなたかに意見を乞うべきだと常に思っています。

大京大の臨床系教室にはいないはずです(埋もれている才能があるのかもしれませんが、残念ながら存じ上げません)。これが、日本全体としての感染症実践への無理解に直接影響していることは論をまたないでしょう。

結局のところ、朝日新聞さんは、空気感染と飛沫感染を混同して使用し、「それでよい」と考えているようですが、これを厳密に区別している欧米主要紙と比較して、どちらの方法論がより国民の皆様を救うのでしょうか?どちらの考え方が、病院の感染症対策を正しく監視できるのでしょうか?どちらの考え方が、予算的にも大きく割かれ、世界を巻き込んで賛否渦巻く議論を巻き起こしているWHOの人畜共通インフルエンザ感染に対して、有効な提言をなし得るのでしょうか?

朝日新聞さんには、それに対して回答できるような哲学はあるのでしょうか?

世界の医療において一般的な認識である、インフルエンザウイルスは飛沫感染であるという事に対し、わざわざ空気感染という言葉を使うことによって国民のなにをよくしようとしているのですか?「飛沫という言葉は難しいから空気にしておいた」では国民をバカにし過ぎではないですか。政局に関連した難しい言葉はいくらでも繰り出すのに。

件の窓口対応は、保身の回答にしか思えません。強烈で嫌味な言い方をするならば、戦前からちっとも体質が変わっていないというふうに見えます。

朝日新聞さんは日本の高級紙なんでしょうから」とわたしが文中に書いたのは、欧米主要紙に比肩するような優れた科学記事・医療記事を書いていただきたいという期待を込めているのですが。残念です。これが産経新聞さんやスポーツ紙なら僕は特に批判とかしません。

私がもし将来偉くなって、自分の専門分野についてマスコミの方から意見を求められるほどの立場になったならば、絶対このような意見を新聞社によせるようなことはしないように、今後共日々精進したいと思います。研究者視点ではなく、実践的に日本人の健康に役立つようなことを言えるようになりたいです。例えば原発の時のように、地元民視点を失うような学者にはなりたくないです。僕はマスコミの文言に文句をつける草の根のネットの文章があったとして、それについて保身的なコメントを求めるマスコミ関係者がいたなら、「君、それはよくないよ。患者さんのために一番良いのはこれだ」といえるような、カッコイイ人間でありたいです。

長々とごめんなさい。

*1:成人の場合です